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ポツラポツラ

「無感情」について。

過ぎてゆく瞬間をなるべく見落とさないように、ゆっくり、目を凝らして歩いているせいで、何かに一々驚きながら日々を送っているのだけど、他人から、無感情、無関心を指摘される事が多かった気がする。

確かに、興味の有無がはっきりしているタイプだとは自覚していて。独り言を最後まで心の中で話し切ってから、初めて誰かに話したりするし、自分と他の人はおそらく別の世界を見つめているから、他人を理解する事は不可能に近いと信じている。

こんなこと話すと、めんどくさそうやなと思われるだろうからいつもはヘラヘラしてますけど。
君たちの前でヘラヘラする時間も何だかんだ好きで、中々やめられそうに無いし。


無感情
感情が、無いと書いて無感情。
無関心、無感動、または感情や感覚の全般的欠如。
調べたら、↑こう出てきたけど

欠如じゃなかったらどうかな。欠如って事になってるのはさ、感情に無を付けてるから、欠如してる事になってるけど、例えば超越の可能性もあるじゃん。感情の超越。だから、無感情は超感情ってことだね。

無感情を欠如と捉えるかどうかは、派閥が分かれると思うな。パン派ご飯派みたいな感じで。たけのこ派きのこ派みたいな。改札で去り際に、一回バイバイの後にもう一度振り返る派か、去りながらバイバイしてすぐスマホとかいじる派か、電車で居眠りする時に、首が前に倒れる派か後ろに倒れる派か。隣の人の肩にもたれる派もいるのか。困ったな。


無感情って、多分人間だけの話じゃ無い気がする。世界共通、宇宙共通?ヒト以外の動物にも、無感情は存在しているのかも。

無感情が、超感情だったとして、感情の超越だったとして、そしたら本当の意味で無感情になったことって未だ無いかもしれないなと思う。

本当の意味で無感情って、じゃあ何なんだって事になるけど、その答えは、きっと言葉にしたらいけないような気がして、途中まで書いていた文章を慌てて消してしまう。



これから作る数多の作品の中に、少しでも無感情が現れていたら、それ以上の喜びは無いんだろうな、なんて。



これを書いていたら、電車を降り過ごして予定より1時間くらい遅く家に着いたことはここだけの秘密ってことで。







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