女性は多くの選択肢を求めていない?

女性の権利や女性の働き方をサポートする動きが世の中にある。

企業もできるだけ女性の管理職を増やしたり、育児休暇、子育てサポートなど

してくれてるところが多いのでしょう。

しかし自分自身が感じるのは、

「結婚、子育て、仕事、遊び、女性であること」

を本気で人生かけて謳歌したい女性はスゴーーク少ないのではないかということ。

私はみんな本当はそれを望んでいると思っていた。

実際全て欲しいと望んでいても、頑張ったとしても社会や周りのサポートがなく現実的にそれは難しいと諦めてしまう。

社会がもっと女性が自由になることに前向きになればいい。

女性が社会で活躍できる機会が増えるといい。

と思っていた。

もちろんそうなれば言うことなしだが、

果たして欲しいものを求め、努力すれば全てが叶うと保証されていて、

現に努力する女性はどのくらいいるのだろう?

女性だろうが男性だろうが、望んだものを手に入れるには何かしらの努力が必要なのは明確だ。

よく女子が言う「イケメンやお金持ちの男性」と付き合いたいなら、彼らと出会える場所を探して、知り合うきっかけを作って、声をかける、かけさせる努力をしなければ、何も起こらない。

子供が欲しいならセックスしなければできないし、

出産後職場に復帰したいと思ったら、それまでと同じ仕事を同じようにこなす必要がある。

それは欲しいと思った人に課せられる最小限の過程だ。

家にこもって待っていたって何も起こらない。

それが欲しいものが増えていけば、

それらを得るための努力は必然的に増す。

こんなに大変なら、今あるもので十分だと思うのは当然な気もする。

というよりもそんなに全てを望むほど欲張る必要がなくなるからなのか。

一つ手に入れればそれに依存して自分なりの人生を人なりに生きることができる。

母親になって仕事に復帰したいと感じたとしても、そこで働いて役に立てると社会にわからせるのは自分しかいない。それが難しいと思うのであれば、やめて子育てをして生きる選択は当然なのかもしれない。

何の努力もなく女性だから全てが手に入るなんてことはないのだから。

女性は自由になれないんじゃなく、

時に自由になることを拒んでいる。

働けないのではなく、

働きたくないのだ。

シンプルなことを社会や私たち女性自身が時に複雑にしているのかもしれない。

何かを得るための努力を自分が求めるもののためにできないのであれば、

その価値はそもそもそれまでだ。

それが良いも悪いもない。

自分に何が必要で不必要かただクリアになっただけのことだ。

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