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舞台「砂の女」の感想

先日、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんが奥さんの緒川たまきさんと結成した演劇ユニット「ケムリ研究室」の第二回公演「砂の女」を観劇してきました。

このコロナ情勢下はなかなかに厳しく、先日は東京芸術劇場で見る予定だった「カノン」もあったのですが、これは公演中止の憂き目。この公演は去年も公演予定だったのですが、同じくコロナで全公演中止。今回ようやくの公演決定だったのですが、これまた出演者のコロナ感染で公演が中止の連続。結局9月公演だけはできるみたいです。関係者の皆さんの思いも含めて、なんとか公演ができることは良かったです。自分は見に行くことができませんが、良い公演になるでしょう。

さて、今回の「砂の女」ですが、ケラさんが最初Twitterでこの話をつぶやいたときはめちゃくちゃ嬉しかったです。「黒い十人の女」の公演も嬉しかったですが、この「砂の女」は自分が大好きな安部公房の作品で、どんなふうに仕上げるのか?非常に興味がありました。映画もなかなか退廃的ですごいのですが、今回の舞台「砂の女」も非常に不条理かつ人の壊れ方をしっかりと描いた作品で面白かったです。

基本的には小説をなぞったものです。昆虫採集に来た算数教師が、蟻地獄に捉えられた虫のように、この村の砂掻き要員として捉えられてしまう。最初は抵抗し、逃げ出したり、労働を拒否したりするが、水がなくなるなども仕打ちを受けたりする内にだんだんと抵抗への意欲をなくしていく。運良く砂に埋もれた家から逃げ出したはいいが、結局砂地獄のような穴に落ちて、また捕まってしまう。そんな生活をしている間に、その砂の家に住んでいた女性(夫と子供を台風で亡くした)と肉体関係を結ぶようになり、そのまま家に残ることになる。

最初のうちこそ、理性的な発言を繰り返していた男だが、村の男たちに「たまには外の風景が見たい」という要求を出したときに「女とのセックスを見せろ」と言われて本気で見せようとするくらい、心が変質していく。もしかしたらそれが彼の本質かもしれないが、、、、、。

女はラジオに固執し、月賦で購入することを夢見ている。そんな女への愛情なのか、同じ境遇にいるもの同士の心境なのか、男は女への優しさを見せる場面が増えていく。

ある日、女が急に強い腹痛を訴える。原因は子宮外妊娠だった。女を急遽病院に連れて行くことになり、ロープで引き上げていく。そのときに男が逃げ出せるようなロープもそのまま残っていて、逃げ出すチャンスはあったのだが、男はそのロープを使って外に出ることはなくこうつぶやく。

「いつでも逃げ出せるチャンスはある、、、、、」

そういって男は鳥を捕まえる装置づくりをまた考え始める。その鳥は捕まえて、外の人への連絡へと使うためのものだった、、、、、、。

最後の結末部分の演出は若干、違っていて安部公房の原作では、水が貴重なことから水を取り出す機械を作るのに没頭するという話でした。ここでの変更点が、男の壊れ方というか、なんというか、不条理感を強く出した演出になっていました。ケラさんも「変えたけどどうかな?」みたいなツイをしていたのですが、非常に印象深い終わり方だと思います。

とにかく女役の緒川たまきさんが、妖艶で且つほんとに壊れている部分と普通のバランスが取れていて素晴らしかったです。ずっと好きな女優さんなんですが、彼女の持っている色気と怖さとか、そういうものが絶妙に感じられます。この作品の場合は境遇に対する疑念とかを一切持っていない感覚に怖さを感じるわけですが、緒川さんはそれを迷わずすっと魅せる。すごいなあと思います。

一方の仲村トオルさんは、壊れていく男役。昆虫採集のために来た村に捉えられて、最後は失踪宣告で死んだことになってしまいます。もちろん最後どうなったかはわかりませんが。仲村さんの演技も見事で、序盤の理性的な算数教師から、常識が壊れていく部分まで見事な振れ幅で見せてくれています。境遇に順応したというよりは変質していったという表現が良いのでしょうが、仲村さんの演技でそこに違和感なく男がいることになります。

とにかくこの二人の濃密な時間を三時間近く見る作品ですが、全く飽きることはありませんでした。砂の演出も映像を巧みに使って、砂の質感だったり、その村の退廃感がにじみ出ていました。この作品ではもちろん昆虫採集が比喩になっているわけですが、その部分含めて、安部公房の描いた不条理感をほんとに絶妙に舞台作品にしていたと思います。村の他の人々のゲスな感じも良かったですね。余計に壊れた感じが村全体にあることが伝わってきます。

映像もあるので、もう一回見ておこうかなと思っています。もう少し印象が変わる部分も出てくるかと思いますが、楽しい作品を見ることができました。

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