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【連載】生湯葉シホ「音を立ててゆで卵を割れなかった」第1回:ゆで卵と視線恐怖

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ライターとして数々のインタビュー記事の執筆や、エッセイを執筆している生湯葉シホさんによる連載をスタートします。
生湯葉さんはご自身の性格を、気弱で常にまわりをおろおろと窺っている(けれど執念深い)とみています。今回スタートする連載は、「食べそこねたもの」の記憶をめぐるエッセイです。
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第1回:ゆで卵と視線恐怖

 テーブルの縁にゆで卵の表面を何度か押し当てかけたところで、割れない、と思った。殻が硬すぎるわけではなかった。アップライトピアノの蓋に似たつややかな素材の、いかにも頑丈そうなテーブルがよくなかった。ボリュームを絞ったチェロのBGMが耳を澄まさなくとも間隙なく聴こえるほど、店内は異様に静かだった。平日の午後らしく客はまばらで、4、5人ほどのその人たちは、みな新聞か文庫本を熱心に読んでいた。
 だれかが大きな咳をするとか、店主がコーヒーミルで豆を挽きはじめるとか、なんでもいいから“きっかけ”をつくってくれ、と私は祈った。いちど姿勢を正すと、ニットの下の素肌に汗が流れていくのを感じ、緊張しているという事実が私をより緊張させた。モーニングセットのトレーの端に卵をぶつけようか迷ったり、手のひらで卵をくるみ、ティースプーンの先を殻の表面に当ててみたりといくつかの方法を考えてはみたけれど、卵が割れるゴン、というにぶい音が店内に響いてだれかがこちらを見ることを考えるだけで、動悸が激しくなった。跳び箱を跳ぶ勇気が出ずに短い助走を何度もやりなおす人のように、私は手頃そうな角を見つけては数センチのところまでゆで卵を近づけてみて、結局割れずにエッグスタンドに戻す、ということをくり返した。
 
 あのころはほんとうに、毎日がそんなふうだった。10代の半ばから20代にかけて、緊張していなかった日は1日たりともなかったと思う。満員電車でも映画館の暗闇でも、サイゼリヤで食事をしているときも、学校で出欠確認のために名前を呼ばれるときも、同じように緊張して手足がぶるぶる震えていた。音楽を聴くためにイヤホンをすると自分の呼吸音がふだんよりも大きく響き、慌ててイヤホンを耳から外して自分の吐く息がうるさくないか確認することもあった。
 見られることが怖くてたまらなかったから、だれにも見られていないことをたしかめようと、人をよく見ていた。だれかとしゃべったり人前に立ったりしていないとき、ほとんどの人は無防備だった。美容室で髪が染まるのを待っているときも、進みの早い列を探しながらスーパーのレジに並んでいるときも、みな無表情で足を組んだりちょっと貧乏ゆすりをしたりして、他者の存在をとくべつ意識していないようだった。それが自然な状態なのだと納得してからは、“自然”ではいられない自分に苛立った。すれ違った人に見られている気がするとき、自分が“自然”でないから見られるのか、見られているから“自然”でなくなってしまうのか考えては、自分で自分を袋小路に追い込んでいった。自縄自縛から逃れてつかの間自由になれるのは、好きなバンドのライブで体を揺らしているときだけだった。
 
 強い視線恐怖に囚われてまともに人と話すことができなかった時期は、それでも人と会わなければいけないことがあると、横並びのカウンター席を選んで座るようにしていた。気になっていた人とカウンターで食事をしていたとき、震える手元を見られないよう細心の注意を払ってビールを口に含んでから、好きなドラマの話をしたことがある。ドラマの名前を聞くと、その作品のころにはまだ生まれてないでしょう、どうして知ってるの、と言って相手は驚いた。私は大学の授業でドラマ脚本の研究を専攻していると説明したあとで、あれはトレンディドラマだと思われているけどそうじゃない、ものすごく細やかにコミュニケーションの機微を描いた作品だ、というようなことを熱弁した。主人公がある女性に惹かれた理由が特にすごくて、さくらんぼの種を口から出せなかったからなんです。その女性は主人公と向き合って話をしているあいだ、緊張して緊張して、何時間も前に食べたパフェの上のさくらんぼの種を出すタイミングがわからなくなっちゃって、ずっと口をすぼめて話を聞いてたんです。主人公は途中でそれに気づいて、女性に好意を持つんですよ。
 私の話を聞くとカウンター席の相手はちょっと笑い、しばらく考え込むように下を向いたあとで、「ごめん、僕にはほんとうに意味がわからない」と言った。わからないでしょうね、と私は思い、わからない相手だからこうしていま自分は食事ができているということを説明しようかすこし迷った。けれどそんなことを言って相手の目をこちらに向かせる勇気は到底なかったから、家に帰ってから長いメールを送ろうと思い、いざ帰ってからまた迷い、結局なにも伝えられなかった。
 あのころはほんとうに、毎日がそうだったのだ。ぎこちなく、息苦しく、痛々しかった。視線恐怖が幾分やわらいできてからは、喫茶店でゆで卵つきのメニューを見ても頼まなくなったから、ゴン、という音の呪縛に苦しめられることも、卵を握る指先の緊張を思い出すこともなくなって久しい。



生湯葉シホ(なまゆば・しほ)

ライター、エッセイスト。1992 年生まれ。Webを中心にインタビュー記事、エッセイを執筆する。共著に『でも、ふりかえれば甘ったるく』がある。


【本連載は隔週更新(予定)】
★次回は7月16日頃の更新を予定しています。


●題字デザイン:佐藤亜沙美(サトウサンカイ)
●イラスト:藤原琴美



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