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【連載】生湯葉シホ「音を立ててゆで卵を割れなかった」第3回:永遠に食べそこなわれつづけるメロン


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ライターとして数々のインタビュー記事の執筆や、エッセイを執筆している生湯葉シホさんによる連載をスタートします。
生湯葉さんはご自身の性格を、気弱で常にまわりをおろおろと窺っている(けれど執念深い)とみています。今回スタートする連載は、「食べそこねたもの」の記憶をめぐるエッセイです。
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第3回:永遠に食べそこなわれつづけるメロン

 免許の更新をしないまま車を運転していたとか、ギャンブルがやめられずに破産してしまったとか、税金の申告漏れで訴えられたりした有名人の報道を見るたびに、ああこれは私の未来の姿だ、と緊張が走る。
 たとえば、虫歯で歯医者に通っているとき。治療を終えて受付に向かうと、次回のご予約どうしますか、と歯科助手の人がにこやかに聞いてくる。スマホのカレンダーを確認して、あ、ええとちょっとまだ予定わからないので、わかったらこちらから電話しますね、などとモゴモゴ言いながら、歯科医院をあとにしたとする。するともう、この時点でだめなのだ。私はすでに、その歯科医院に行く機会を永久に失ってしまっている。
 かつてのツイッターにそんなことを書いたら、「どうして」「行けばいい」「こいつはなにを言っているのだ?」という引用リツイートが大波のように押し寄せた。歯の痛みで眠れないとか抜糸してもらう必要があるとかよほどの緊急性があるならまだしも、そうじゃないのにどうして自分から能動的に電話なんてできるのだ、と私は逆に問いたかった。けれどもうすこしよく目をこらしてみると、はるか遠くで蜃気楼のように佇んでいる、同じタイプであろう人々が、リツイートをし終えたあとの自分のタイムラインで「そう なんだよな……」と静かになにかを噛み締めているのも散見された。私はすべてのツイートに音もなくいいねをつけながら、わかります、わかりますよ、と心のなかでその人たちに力強く手を振った。
 
 乱暴な言いかたなのは百も承知だが、世の中には市役所から毒蛇みたいな色をした自分宛ての封筒が届いたことのある人とない人がいて、前者の人間だけが知っている虚無感がある。「緊急」とか「至急ご開封願います」とゴシック体で書いてある薄い封筒の糊づけを剥がしながら、ああついにきてしまった、と覚悟を決めているときのあの気持ち。健康保険とか住民税を払う意義は大人としてわかっているはずなのに、なぜか、はっと気がつくと最初の期限が過ぎていて、期限を過ぎてしまった人用の期限も過ぎていて、知らない電話番号からスマホに着信があって、いや朝8時半に電話されて誰が出られるんだよ、などと毒づきながらその折り返しも忘れていたら、やがてやってくるあのこわい色の封筒。
 自治体にもよるけれど、あの封筒の色の過激さは、事態の深刻度が増していくに従って加速していく傾向がある。はじめにくる封筒は鮮やかなピンクや青で、それを放置しているとつぎに黄色と黒の縞々の封筒がきて、最終的には深い赤色になる。黄色と黒のあたりからはあきらかにやばいことが万人にわかる色なので、家のポストのなかに紛れていて気づきませんでした、といったことはありえない。しかしこれさえも放置していると、1拍だけ時間を置いて、宛名が小さなフォントで印字された、真っ白な封筒が届く。この時点になるとすべての物事はもう決まったあとで、なにかが差し押さえられるなどしていて、役所に直接出向く以外の解決策は残されていないことが多い。
 
 そんなふうに、このままじゃぜったいにやばい、取り返しがつかなくなる前にどうにかしなきゃと思いつづけて数ヶ月とか数年経ってしまった経験が、これまでの人生において、少なく見積もって私には15回ほどある。そういうときはほんとうに恐ろしいほど、なにもかも手遅れになるまで動くことができない。
 
 ある年の年末、実家に帰省した帰りに、親戚にもらったから、と母がマスクメロンを持たせてくれたことがある。母が運転する車のなかで、まだ青みの強いメロンのずっしりとした重みを両膝に感じながら、あ、これはまずいことになった、と私は内心で冷や汗をかいていた。なぜだかわからないけれど、その時点ではっきりと見えたのだ。メロンの食べごろを逃しつづけ、やがてそのメロンを腐らせてしまう未来が。
 私はすべてのフルーツのなかでメロンがいちばん好きだ。お金のことは考えずに好きな食べものをひとつだけ買っていいと言われたら、たぶん千疋屋かどこかに行って、化粧箱に入った高価なメロンを迷いなく買うだろう。それでもなお、このメロンを腐らせてしまうかもしれない、という予感がいちど頭をよぎってしまったら、線路はもう、その終着駅に向かって自動的に切り替えられたあとなのだ。
 メロンは冷蔵庫に入れないで常温で置いときなさいね、食べごろになってくるとお尻のほうがやわらかくなって甘い香りがしてくるから、と去り際に母は言った。6日ほど経つと、その予言どおり、帰宅して玄関のドアを開けるたびにメロンの甘い匂いが漂ってくるようになった。なんて美味しそうないい匂いなんだろう、と私はうっとりして、ひとり暮らしの部屋のベッドから、メロンの置かれた台所の戸棚を飽きもせず見つめつづけた。それから数日が過ぎ、あ、メロンいまもう、ちょっと熟しすぎてるかもな……と感じた夜があり、けれど私はそのとき不運にも仕事で猛烈に疲れていて、まあ明日食べればいいよな、と眠ってしまった。いま思えばあれが最後のチャンスだったのだ。
 それからはもう、雪崩のようだった。メロン切るなら燃えるゴミの日に合わせたいし、ちょうど昨日ロイヤルホストでメロン食べちゃったし、なんでもない日にこんなものひとりで食べられないし……とひと口サイズの言い訳を頭のなかで風船のように膨らませていく日々がつづき、それが勢いよく破裂するころにはもう、メロンは腐りきっていた。ある晩、黒っぽくなったメロンをふたつに切ってみると中はもうゼリーめいた形状になっていて、スプーンで果肉をすくってみても、ピリピリとした刺激しか感じられなかった。
またやってしまった、最悪だ、と私は自分への信頼感をひとつ失って、どこまで時間を巻き戻せばまともにメロンが食べられたのだろうか、と愚かなことを考えていた。それから数日は、家に帰るたびにもう台所にはないはずのメロンの姿を幻視して、あ、そうか、もうメロンのこと考えなくていいんだ、と胸を撫でおろしながらも、ツンとしたさみしい気持ちでいた。



生湯葉シホ(なまゆば・しほ)

ライター、エッセイスト。1992 年生まれ。Webを中心にインタビュー記事、エッセイを執筆する。共著に『でも、ふりかえれば甘ったるく』がある。


【本連載は隔週更新(予定)】
★次回は8月16日頃の更新を予定しています。


●題字デザイン:佐藤亜沙美(サトウサンカイ)
●イラスト:藤原琴美


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