『他人の人生の結末が悲劇か喜劇か、なんでお前にわかるのだ』

ずっと見たかった映画「万引き家族」をみてきました。これは帰り道のバスにて書いています (映画館の外見が超良いものだったので #にっきちゃんの日記 でみてね)

ここからは若干ネタバレを含みます

万引き家族は凸凹した家族の絆や愛情を描いたお話だと思ったけれど、子供を誘拐してしまうとか、繰り返された万引きとかの、一見して 歪んでいるように見える愛は 実はとってもまっすぐなものでした。世間的に良いとは言えない生活の中の、愛情。それはとても鋭くて 尖っていて 光に当てると 歪んで見える。社会の眼光や、取材のカメラのフラッシュによって。

これは いろんなものに通ずると思うけれど、まっすぐで突き抜けている人はどこかでぶつかります 痛い 痛くて 傷ついてしまう わたしが好きな人たちも 信念を持ってまっすぐまっすぐ尖り続け、いつも傷ついています わたしはそんなところが好きで、そんなところが勝手に心配です。でも 傷つきながらも生きていく人は本当にカッコいい わたしもそうなりたいと思って ミスiDを受けました。

でも 強さって盲目になってしまう。万引き家族は、ご飯を食べたり お風呂に入ったり、その生活を続けていくために、切れたシャンプーを商店から盗み 食物をリュックに落とします。まるで、生き抜くためのゲームのように。商品を盗むことでお店は困るし、自分の価値観にすら大きく影響を及ぼしているのに 、万引きをする彼らは なんだかとっても楽しそうでした。でも、それってやっぱり良いことではないと思う。おばあちゃんが亡くなった時も、一線を超えた大人は生活の糧となる隠し金を得た瞬間 とっても楽しそうに枚数を数えていました。それをみて唖然としているのは 子供達。生きるを続けていくことで生まれた愛情や絆によって尖り続けた針は 長く長くなって、もはや先端から根本が見えない。悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪くないの裏返しって 見えなくなった瞬間なんだろうなと こわくなりました

その針が折れ ぽきっと地面に落ちた瞬間、面会室で安藤サクラ演じる信代が、祥太に過去のことを教えたシーンで 私は滅茶滅茶に泣きました。でもあれは諦めて歪んだ訳ではないと思うのです。わたしにとってあのシーンは 愛しくてたまらなかった絆を手離し、信代自身の新しい芯を築いた瞬間でした。美しかったな。

あと、お風呂場にて信代とりんが同じ場所に火傷の傷跡を見つけたとき 傷を撫でてあげるりんに泣きました やっぱり 子供の純粋さに 大人は解毒されてゆく その後のシーンから信代は とっくに治っている傷跡に、絆創膏を貼っていました。まるでお守りのように その気持ち、わかる〜

作品のテーマにもなっている「家族」って、結局なんなんだろう。というところに視点を置いて、今回映画を見たけれど

血の繋がった家族はいても、家族って血なんかではなく 根底が愛情なんだなと 改めて思いました。誰でも家族になれるよ あなたとも。

良い映画だったな〜

是枝監督の作品は 誰も知らない、空気人形、海街diary をみたことがあるけれど どれも共通して 薄いブルーの空気が流れています。万引き家族も 立ち込めるブルーの気配を細野晴臣の音楽が引き立てていて「(好き…)」となりました。グッドジョブすぎる



そうそう、今日の文章の題名の『他人の人生の結末が悲劇か喜劇か、なんでお前にわかるのだ』は 終了後エンドロールが始まった途端 後ろの席のおばさんが「あの男の子は幸せになれるけど、あの女の子は幸せになれないね」と喋っていたからです なんで〜〜〜〜 人生が悲劇か喜劇かわからないしその人の感情次第なんて大昔の聖書にも書いてあるでしょう・・・ わたしはちょっと悲しくなっちゃった 幸せの形なんて 山ほどあるのにね  ビー玉を集めているりんは幸せそうでしたよ でも エンドロールが流れ切る刹那 天井に文字の白い光が天使の輪みたいな形になって消えたので 絶対幸せになれるでしょ と思いました。

他人の作ったストーリーにここまで心動かされてしまうわたしたちはなんだか情けないけれど それだけ影響力のある人生を作れちゃう人は偉大だな


それではね あらあらかしこ

安住日希 


(P.S.これを書いた直後 コロッケ屋さんへ行って揚げたての野菜コロッケを食べました 映画の食べ物 食べたくなるよね)

#ミスiD2019 #ミスiD #はらわたの着色 #万引き家族



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