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私にとっての本屋と誰かにとっての服屋がおなじだという話

ある本を買う、という目的を待って本屋に行くものの、それ以外の本が並ぶ棚も一応チェックする。「こんな本があるんだー」とか「これはおもしろそう」とか思って、予定にない本までついつい買ってしまう。私にとって本屋は、偶然の出会いがある場所でもある。わくわくする。

後輩に以前、「本屋は疲れる」と言われたことがある。

なんとなく、わかる。いっぱいあって疲れるのだ。情報量が多すぎる。コミックアプリについても同じことが言えて、「何か読みたいけど」って思ったときに、どれがいいのか選べなかったりする。よく本屋に行く人、多くの本からひとつを選ぶことに慣れている人からすればなんてことないのだろうけど、慣れていない人からするとどれがいいのかわからず疲れてしまう。(慣れていても疲れることではある)

そんなことを思いながら髪を拭いてるとき、ふと、それって私にとっての服屋と一緒だ!と気づいた。

服が欲しくてなんとなく服屋に行くんだけど、何が自分に合うとか、これは持ってるどの服と合わせられるとかそういうことがわからなくて、結局全てを諦めてしまう。そういう全部がめんどくさくなって、疲れてしまう

きっと後輩は、私が服屋に持つこの気持ちを、本屋に持っていたんだな。

好きだとなんてことないことも、わからなかったり苦手だと途端に耐えられなくなる。だから、その道の信頼できる誰か、を伝っていくのがいいのかもしれない。この人がおもしろいって言っていたから、あの人がこういう合わせ方ができるって言っていたから。みたいな。

自分と感覚の合う誰かを見つけて、情報を絞っていく、そんなときなんだろうな。


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