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東高円寺駅 酔狂と静かな浮遊感 | 滝田七穂

東京には「SUGINAMI」という街があるらしい。
そのことを知ったのは中学生の頃だっただろうか。レンタル落ちで購入したスピッツのマキシシングル『ハネモノ』、そのカップリング曲である「SUGINAMI MELODY」を聞いて不思議な感覚に襲われた。草野マサムネの唇から紡ぎ出される「並木道」や「木漏れ日」という言葉、三輪テツヤが奏でるバンジョーのメロディから行ったことのない街の情景が浮かんできた。どこにでもありそうだけど、騒々しい東京の中ではむしろ異色な、時間が遅く流れる静かな浮遊感のある街。
いつか、SUGINAMIに住んでみたい。

その後なんやかんやあって大学・大学院時代を京都で過ごし、なんやかんやあって地元で就職した。しばらく経って、東京の友人に誘われて高円寺に行った。道に半分せり出している飲み屋の座席の脇を抜け、「はちグラム」で水タバコを吸った。「東京に住みたい」と話したら、「高円寺が似合うと思う」と言われた。お酒は弱いし、タバコも吸ったことがないし、古着屋やライブハウスに通っているわけでもない。でも、そう言われると、なんとなく自分には高円寺が似合うような気がしてきた。店の中でも外でもすれ違う人は大抵酔っ払いか社会に馴染めなさそうな若者(自分より年上の人も多分にいただろうが敢えて「若者」と書く)だ。「酔狂」な街だなと思った。「酔狂」を辞書で引くと
① (「酔興」とも書く)物好きなさま。好奇心から風変わりなことをするさま。
② 酒に酔って常軌を逸すること。
と二つの意味が出てくるが、高円寺の人たちはこのどちらか(もしくは両方)に当てはまる気がする。そんな人たちでできた街なのであろう。
高円寺があるのは杉並区だと知ったのはその後のことだった。

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高円寺駅北口にある「コクテイル書房」は古書店と居酒屋がまぜこぜになった実に高円寺らしい店

転職活動の面接を終えてそのまま高円寺へ向かった。JR高円寺駅の南口を出て、高円寺パル商店街を通ってメトロ新高円寺駅へ。そこから青梅街道を東進して東高円寺駅、新中野駅の界隈を巡り、中野通りを上ってJR中野駅に行き着いた。道中、片っ端から不動産屋を覗いて物件を漁っていた。
さて、実際に住むならどこがいいのだろうか。高円寺駅や新高円寺駅界隈の雰囲気は気に入っていたが、毎日あんなところから通勤していたら人としてダメになるのは目に見えていた。「SUGINAMI MELODY」の世界で静かに暮らしたい。その一方で、高円寺の酔狂な空気の残り香をプカプカと吸っていたい気持ちもあった。杉並区の境界を越えた新中野駅や中野駅の雰囲気は高円寺とは似て非なるものであり、生活に便利そうではあっても妥協はできなかった。
「高円寺」の酔狂と「SUGINAMI」の静かな浮遊感。双方が交わる場所に奇跡的に存在するのが東高円寺駅界隈の時空間である。駅北口の青梅街道沿いや「ニコニコ商店街」には高円寺らしいライブハウスや居酒屋、ラーメン屋などが集まり、変な髪の色をした若者が楽器を背負ってフラフラしている。一方南口の目の前には「蚕糸の森公園」があり、木漏れ日の中で駅前とは思えないような時間が流れている。そして周辺は閑静な住宅街。ここだ、ここしかない。

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蚕糸の森公園は東高円寺のオアシス。木漏れ日に限らず人工滝やピオトープもある

転職先が無事に決まり、場所としても部屋としても御誂え向きな物件が見つかった。契約日は、不動産屋で手続きをした後、高円寺駅に向かった。大学の友人が丁度東京に来ていたため、合流してカフェに入った。そして以前と同じようにパル商店街、青梅街道を経由して、東高円寺の新居の目の前まで来た。スーパーで購入したアイスを並んで食べながら「これが私の住む家だよ」と言った。住人らしき人が怪訝そうにこちらを見ながら建物に入っていった。

引越当日は日没までかかってなんとか荷物の搬出を終え、限りなく終電に近い電車に飛び乗った。新居に着く頃には日付が変わっていた。ガスの開通は翌朝のため、シャワーを浴びることはできない。さすがにもう銭湯はやってないかな...と思ったがグーグルマップを開くとまだやってる銭湯が複数出てきた。なんでやってるんだ。そう思いながら大浴場で長距離電車の疲れを癒すと、出し抜けにラーメンが食べたくなってきた。グーグルマップを開く。いや、なんでやってるんだ。大学時代を過ごしたあの街と一緒じゃないか。なんだか京都に帰ってきたようだなあと思いながら、バリカタの豚骨を啜った。

阿佐ヶ谷には美味しいソフトクリーム屋さんがあるらしい。
秋も深まる頃、杉並区役所に行くついでに「宮野乳業」に立ち寄ってみた。出されたソフトクリームを食べると不思議な感覚を思い出した。ああ、これだ、これが「SUGINAMI」のソフトクリームだ。食べ終えて街道に出ると、イチョウの並木が西日を受けて輝いていた。脳内であの曲が流れ出した。
そうか、私はあのSUGINAMIに住んでいるのだな。

さて、折角の機会なので最後に東高円寺界隈のぐっとくるお店をもう少し紹介しておきたい。

喫茶生活

まず名前が最高である。神がニコニコロード(東高円寺駅通り商店街の通称)を歩いていて「生活あれ」と言ってできたんじゃないかというくらい自然にそこに存在している。マイルス・デイビスのポスターが貼られた扉を開けると気さくなマスターが出迎えてくれる。コーヒー豆、レコード、書籍などが所狭しと並ぶ店内は丁度良い散らかり具合で、好事家の友人の部屋を訪れたような安心感がある。店内持ち込み自由、そしてテイクアウトのコーヒーは半額というかろやかさもまた「喫茶生活」という店名にふさわしい。

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ニコニコロードはこじんまりした商店街。写真は朝だから人がいないけど、いつもはスーパーオオゼキ (写真左) を中心にほどほどに賑わっている

博多ラーメン ばりこて

ニコニコロードと大久保通りの交差点に無料で豚骨の香りを垂れ流している罪な店。「関東風の調理は一切していません」という店先の貼り紙に偽りはなく、一口食べれば博多ラーメンのイデアが立ち現れてくる。カウンターに並んだすりごま・紅ショウガ・辛子高菜は無課金で投入できるのがありがたい。サイドメニューの「ひとくちめんたい」や「がめ煮」(筑前煮)まで頼んだ日にはもう「正しい街」福岡への郷愁が迸っちゃって止まらない。

パティスリーフリップス

東高円寺駅前に足りないものを一つあげるとするなら、ケーキ屋さんである。だから無性にちゃんとしたケーキが食べたくなったら、新中野駅との間に位置するフリップスまで足を伸ばす。瀟洒な店内に並ぶのは、季節のフルーツをふんだんに使った硬めのタルト生地のケーキ。いつもどれにするか迷ってしまうが、どれを選んでもキルフェボンを彷彿とさせる贅沢さをもたらしてくれる一方で、我々の日常に寄り添ってくれるような親近感を与えてくれる。たまの「自分へのご褒美」にはこれが最適解である。

■滝田七穂 (@tkt7pho)
寂れた港町で生まれ、大学・大学院時代を京都で過ごす。地元で職を得るも、その後転職ではじめての東京へ。古書店で昔の美術展の図録を見るのが好き。日常生活で使ってみたい諺は「天網恢恢疎にして漏らさず」。


*このエッセイは、住んで暮らす東京の街についてのエッセイ集『あの街』第1号の収録作品です。
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