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奥沢駅 洗濯機が壊れた日 | ませり

……ジャバジャバジャバジャバ
2018年の秋、日曜日の夕方のことだった。よく晴れているけどもまったく予定がなく、サボりがちな家事しかすることのない休日。洗濯が終わるのをベッドで座って待っていた。

ダラダラとiPhoneでTwitterを見るのにさえ飽きてくると、いつも虚無感に襲われる。今日も何もしなかったな、だるいな。
京都で学生をやっていた頃から、こうした怠惰からくる憂鬱にずっとつきまとわれてきた。忙しく働いていても根は変わらない。休日は無為に溶けていく。

……ジャバジャバジャバジャバ
ベランダから、洗濯機が注水する音が聞こえる。
私の住んでいた奥沢の築40年のアパートには室内洗濯機置場がない。上京のときに母が買ってくれた無印良品の洗濯機は、仕方なくベランダに置いた。カバーをしないから煤けて黒くなっている。

……ジャバジャバジャバジャバ
私はそのとき、洗濯機が注水を30分以上続けていることに気づいた。槽を回すウィーンという工程が一向に始まらないのだ。
あわててベランダに出て、とりあえず電源を切る。
「洗濯コースの設定を間違えたのかもしれない」なみなみと溜まった水を脱水し、もう一度最初から始めてみたが、ジャバジャバ、注水はとまらない。

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奥沢とは世田谷の地名だ。住宅地として知られる。人口は3万人ほど。
奥沢駅は東急目黒線の駅で、そこから10分歩けば住みたい街ランキングでおなじみの東急東横線自由が丘駅、別方向に15分ほどで泣く子も黙る高級住宅街、田園調布駅である。奥沢自身の地価もまぁまぁ高い。東急が開発した他の住宅地と違うのは、奥沢近辺は南北朝時代に拓けた古い土地で戦前は横須賀へ通う海軍のえらいさんの住む住宅地だったということだ。だから良く言えば「落ち着いている」、正直に言えば「寂れている」。

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駅前の「サンケイビル」には昭和の趣を残した化粧品店や”電気屋”が入っている。駅から道を一本渡ると商店街・奥沢銀座に素朴で小ぢんまりとしたフランス料理屋や中華料理屋、うどん屋、クリーニング店、コインランドリー、散髪屋、整体院などがあるが、それくらいである。チェーン店のケンタッキーとバーミヤンは重宝していたがあっさり潰れてしまった。自炊をしないと、平日の夕食はコンビニ飯かカップ麺が中心となる。
駅前広場に終電までたこ焼きの屋台が出ているのが唯一の救いで、店名はストレートにタコ焼き屋。雨と風の強い日はお休み。

私が奥沢に流れ着いたのには、大した理由はない。不動産屋に持ち込んだ5つの条件を満たす物件が、偶然奥沢にあったからだ。

①当時の勤務地の横浜までアクセスが良いこと
②休日に都心へ行くのに億劫にならない場所であること
③駅からそこそこ近い
④狭すぎない
⑤家賃が予算内

①②の条件なら、京急、JRの横須賀線などの沿線も候補に挙がるが、「女性の一人暮らし」となると東急東横線は治安面で魅力的。ただ東横水準では予算が厳しい。あれこれ見て回るがピンとこない。狭すぎたり、駅から遠かったり。困った不動産屋が「東横の自由が丘駅からは少し遠いですが……」と出してきたの奥沢エリアの物件だった。再開発の気配のない奥沢は、全体的に築年数が古い。奥沢駅から5分以内でも広くてお得な物件があった。こうして③④⑤もクリア。東横沿線でないのが玉に瑕だが、武蔵小杉でホーム乗り換えも可能である。

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洗濯機が壊れた話に戻る。
修理を呼ぼうにも日曜日の夕方だ。今日家でまともな洗濯ができる見込みはない。私が頼れるのは商店街のコインランドリーだけだった。ゴミ袋にずぶ濡れの洗濯物を詰め込み、IKEAの青い袋(大)に放り込んで家を飛び出す。

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内装は打ちっぱなしのコンクリートの天井に木目の床、とおしゃれなテイストで、思ってたコインランドリー像と違っていた。
轟音を立てて回る洗濯機と乾燥機たち。コインランドリーに来たのはこれが初めてで、それまで映画でしか見たことがなかった。『死ぬまでにしたい10のこと』とか『ベイビー・ドライバー』とか。アメリカの郊外の、広い駐車場つきのでっかいやつ。奥沢のここはそれほど寂しい感じがしなかった。

洗濯には32分かかる。置いてある雑誌を読んで待っても良かったが、口寂しいから近くの喫茶店Okusawa Factory Coffee and Bakesに行くことにした。

奥沢にはおしゃれで本格的なコーヒーを出すお店がいくつかあるが、ここは焼き菓子の工房まで備えている。昔ながらの固めプリンが名物メニューだけど、オーストラリアで修行したというバリスタさんが、今どきらしくシングルオリジンの豆をハンドドリップで淹れてくれる。

優雅な喫茶を終えコインランドリーに戻り、乾燥を終えた頃には外はすっかり暗くなってしまっていた。

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帰り道、商店街の脇に銭湯があることを初めて知った。小規模な古本屋も発見した。床屋のドアに「娘がデビューしました」との張り紙と一緒に、知らないアイドルのポスターが掲出されているのも見た。店主の公私混同っぷりに笑っているうちに、「ああ、私の東京暮らしは、全然地の足がついていないんだなぁ」と思い至った。

平日は職場との往復、休日は引き篭もるか都心に出てしまうばっかりで、近所でちゃんと買い出しをして自炊したり、公園や図書館に行ったりすることがなかった。近隣の喫茶店に行くことも稀だった。家の近くに十分ある、生活のための機能を活用せずに生きてきた。
憂鬱になる前に、まずは目の前の生活をしっかりやろう。そのことを忘れないために、しばらくはコインランドリーに通おう。家に着いてから乾燥機でふわふわほかほかになったタオルに顔をうずめながら、そう決心したのだった。

壊れた洗濯機はそのまま修理することはなく廃棄となり、19年の春の引っ越しを機にコインランドリーのような横開きのドラム式洗濯機に買い替えた。なお、引越し先も奥沢である。ちゃんと生活するうちに、この街に好きな場所が増えすぎてしまったから。

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■ませり (@zweisleeping)
関西出身のWeb系のOL。趣味は寄り道と買い食い。

*このエッセイは、住んで暮らす東京の街についてのエッセイ集『あの街』第1号の収録作品です。
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