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泣き叫び続けて何を訴えていたのか、今となっては全くわからない

子どもの頃、母が私を捨てないでいてくれたことは奇跡だと思う。
親なんだからそんなの当たり前でしょうと思う人も居るかもしれない。だけれど子どもの頃の私は警察沙汰になるほどにすごい癇癪持ちで、それはもう誰もが驚愕するほどに。

今日は癇癪持ちだった子どもの頃の話を。

毎朝バスに乗るまでが運動会、母や先生たちが走り回ってやっとの思いでバスに乗せていた。もちろん私は泣き叫びながら逃げ回っていた。私は着替えもせずパジャマで乗せられたバスで全てを脱ぎ捨てた。母が可愛くくくったヘアゴムだって全力で投げ捨てた。幼稚園ではみんなと同じことはしたくない、部屋の隅でひとりで違うことをしていた。なんども幼稚園から追い出されそうになった。

小学校に上がってからは毎朝行きたくないと泣きじゃくって叫び倒した。それでも母は行きなさいと毎日家から送り出して、それに負けじと私は泣き叫び続けた。

幼稚園の頃には3つ離れた弟を家のゴミ箱に要らないと言って捨てたし、弟が幼稚園に入った頃には喧嘩をしている時に弟を突き倒して、弟の頭で窓ガラスを2回も割った。

ほら、母が私を捨てないでいてくれたことが奇跡だと思えてきたでしょう?

まあでも私は記憶が薄いから全部、母や祖父母、幼馴染や友達から聞いた話で。
私の記憶といえば、幼稚園の頃にバスで投げたヘアゴムが壊れてしまって壊れちゃった、と泣き叫びながら思ったこと。小学校に行くまでが何だかすごく嫌だったこと。そのくらいだ。
何がそこまで嫌だったのか、泣き叫び続けて何を訴えていたのか、今となっては全くわからない。

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