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ピンクを選べなかった女の子の話


カラフルなランドセルを見ると、少し羨ましい気持ちになる。わたしが子供の頃、ランドセルの色を選ぶ余地はなかった。

当時、男子のランドセルは黒か青・紺、女子のランドセルは赤かピンクと大体決まっていた。ピンクは可愛い子が選ぶ色だから、わたしは迷わず赤。初孫だったわたしに祖母が綺麗な赤いランドセルを買ってくれた。

わたしには4つ下の妹がいる。
当たり前だが、生まれたての妹はわたしよりもずっと小さくて、いままで無自覚に家族の中で一番可愛かったはずのわたしは衝撃を受けた。
妹は白くて、しっかり髪の毛が生えていて、目がクリっとしていて、ものすごく可愛かった。鏡で見る限り、わたしは白くないし、髪はやっとくくれるくらいまで伸びたけど、目もそんなに可愛くなかった。

妹のことは可愛くて可愛くて仕方がなかった。
みんな妹のことを母親に似て可愛いねと言っていたし、“そう、この子は世界一可愛いんです”と思っていた。でも同時に父親によく似てると言われるわたしはあんまり可愛くないんだなと思っていた。

姉妹ふたりへのプレゼントをくれる人や色違いのものを買うとき、必ずどちらかがピンクだったような気がする。
妹はピンクが好きだった。ピンクのものは妹に譲った。ピンクは妹の色だった。
だからわたしの持ち物はピンクじゃない色のものが多かった。母はわたしを精一杯女の子らしくと、赤いものを身に付けさせてくれていた。

小学校は私服だったので、初めは母が選んでくれた服を着ていっていた。赤いランドセルを背負って、赤いミニスカートを履いていったある日。隣の席の男の子がスカートから出ているわたしの太ももの裏を触ってきた。いまでもその子のニヤっとした表情が忘れられない。
次の日からわたしはスカートを履くのをやめた。そして地味な色の服を選ぶようになった。なるだけ可愛くないように心がけた。そんなわたしを好きだと言ってくれる男の子も一人だけいたけれど、手紙を破って無視して過ごした。自分を女子だと認識されることも嫌だと思っていた。わたしと同じようにあまり可愛い格好をしない女の子の友達とだけ仲良くして過ごした。

中学校は受験して、私立に通うことになった。制服はもちろんスカート。当時はスカートがものすごく大きな壁だった。でもスカートの中に黒いスパッツを履いても良いことを知り、丈を膝より短くすることをしなければなんとか履けた。とても可愛らしい赤チェックの制服だったが、最初はそれがとても嫌だった。替えのスカートがグレーのチェックだったので、それが好きだったけど、わたしは買ってもらえなかった。後に先輩から譲ってもらえたが、その先輩のウエストが細すぎて、履くと苦しくなるので、結局赤チェックのスカートをよく履いていた。

中学で、環境も変わり、周りの人も変わったので、最初は男の子と喋ることもできたが、友達に「○○くんのこと好きなん?」とか言われたら、もう話せなくなった。好きではなかったのに、話してるだけでそんなふうに言われると自分が女子なんだと思い知らされて嫌になった。また仲の良い女の子とだけ話す日々が始まった。

高校に入るとスカートが緑のチェックになった。赤よりは着心地が良かった。相変わらずわたしの持ち物にピンクのものはなかった。でもだんだん自分を女子だと認識することが苦ではなくなってきて、隣の席の男の子に好意を寄せられたときも嫌ではなかった。大学に入って初めての彼氏ができて、その彼氏に振られたこともあって、初めてときめいたり、失恋したりして、やっと普通の女の子になれた気がした。それでもわたしはピンクのものを選ぶことはできなかった。

下着売り場に行くのもわたしにとっては苦行だった。初めてブラというものを買いに行ったとき、直視できず、派手じゃなければいいと適当に選んだ。そのあとユニクロのブラトップが流行ってくれて本当にありがたかった。胸のサイズも測ったことがなかったが、ブラトップのお陰で生きていた。

大学4年生のとき、美大の学祭に遊びに行ったことがあった。美大への憧れがあって、物販が気になっていたので、同じ大学の友達と一緒に遊びに行った。夕方になり、手作りのアクセサリーを探していたとき、友達がピンクのイヤリングをわたしに合わせてくれ「この色似合う!」と言ってくれた。信じられなかったが、それ以外に良いと思うものがなかったので、それを買って帰った。案外気に入って、わたしのピンクデビューだった。

卒業して、就職して、わたしは受付の仕事をしていた。受付の制服はいろんな色があって、その制服を着て形式的な来客応対をする仕事だった。女性らしい仕草や女性らしい言葉遣い、お茶の作り方やコーヒーの淹れ方、カップのブランドや種類など、わたしがこの世で一番毛嫌いしてきたようなことを学ばざるを得ない状況になった。

そんな経験もあり、わたしは大人になっていった。学生のときは地味な色しか選ばず、男子と話すこともないようなわたしだったので、母親がわたしの性別を疑うこともあった。でもわたしは本当は中学生の頃からお化粧に興味があったり、少女漫画の中の男の子にときめいたり、ずっと女の子だった。

いまは自分は女性で、女性らしい服装をすること、ピンクを身につけることもできるようになった。
これはパーソナルカラーという概念も大きく影響している。わたしはブルベ夏と診断され、それまでオレンジのチークやリップを選んでいたのをピンクに変えると顔色が明るくなったので、ピンクを積極的に選べるようになった。(オレンジの中にもブルベに似合うものもあるし、ピンクの中にも似合わないものもある)

女性だから女性らしくしなければならないということもないし、ピンクは女子の色ではない。地味な色を身につけても、あえて可愛くしないときがあってもいい。でもそうしなければならないという呪いに縛られ続けた子供時代には戻りたくないと思う。

もっと誰でも好きな色や好きなものを選べる時代になるよう願っている。


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