もう一度会いたいふたり

#おじいちゃんおばあちゃんへ

こんばんは、イナモトです。
今日は少し気分が良くないので、
大切な人を思う記事を書きます。


私は家族のことを家族と言えない。
家の人と呼ぶ癖がある。

大切だけど、心からの尊敬や感謝が
生まれないからかもしれない。
確かにあったはずの家族の思い出も
最近はあまり思い出せなくなってきた。
家族みんなで、というよりかは、
母親、父親、妹と、
ばらばらにある感じ。

私はあまり両親と似ていないと思う。
それよりも、おじいちゃんおばあちゃんに
似ていると言ったほうが自然だなと
思うことが多々ある。

今回の記事はそんなふたりに向けた
私の思い出話を残します。


小学生ぐらいの時までは、
なんとなくおじいちゃん家へ行くことが
億劫だったり、恥ずかしかったり。
気疲れとか照れるとかそんな感じで、
夏休み、冬休みはいつもそわそわしていた。

久しぶりに行くおじいちゃんちは
いつもそんな気持ちだったが、
帰りはいつも楽しかったな、と心の中で
じわっと確かめて帰るような。
車の中から後ろを振り返って、私は手を振る、
玄関の前で手を振ってくれる
おじいちゃんおばあちゃんは
いつも暖かかった。


ふたりの子供なんじゃないか、と
思うことについて。

私は絵を描くことが好きだ。
おじいちゃんも絵を描くことが好きだ。
おじいちゃんは習字も得意で、
いつもおじいちゃんの部屋には
大量の筆や炭、絵描き道具や作品があった。
こっそりそれらを眺めるのが私は好きだった。

今思えば、おじいちゃんにいろいろ
教えてもらったりしてみてもよかったなと
思うこともある。

二十歳の誕生日に、おじいちゃんから
筆で書いたお手紙をもらった。
今でも大切にとってある。
当時はあんまりありがたみや言葉の意味を
しっかり嚙み締めていなかったけど、
今時々見返すとおじいちゃんの声が聞こえてきそうな
感じでいつも胸が苦しくなる。

私は自分の笑った顔や笑い声が
おばあちゃんにそっくりだと度々思う。

顔立ちが薄っすらしていて、
笑うと目がなくなるところ。

笑うときは口元を隠して
くっ、くっ、くっ…と笑うところ。

おばあちゃんが若いときは、
たぶん私そっくりだったんだろう。

おばあちゃんはよく、
かしこい子になりなさい、と言っていたのを
小さい時の記憶だけどよく覚えている。
マナーとか、立ち振る舞いとかに
なにかと厳しかったなと思う。
ピシャリ、と手を叩くのが似合う人だったと思う。
今も、私はお勉強は出来ないけれど
いい意味でずるかしこい子かもしれない。


ふたりとの思い出はなんだかんだ
具体的には思い出せないけど、
おじいちゃんとおばあちゃんが好きだったものとか
二人のクセとかはよく思い出せる。

良くわからないマツタケの煮物、
すき焼き、子犬の人形、自電車、
えぇぇー?とかひゃーーとか擬音をよく言うとか、
二人とも細々と静かににぎやかで。
二人がはーしんど、と言いながら椅子に座る瞬間。

あと、私がおじいちゃんちへ行く度に、
柴漬けを買ってくれた。
だから今でも柴漬けを食べる時は二人を思い出す。


私の親はほんとはおじいちゃんおばあちゃんだったかもと
思う度に、会いたくなってしまう。
もう、ふたりはいないけど。会えないけど。

孫なりに、孫らしく、
おじいちゃんおばあちゃんともっと
仲良くできていたらなと思う。

いつも心の中で暖かな気持ちに
させてくれてありがとう。


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