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ブドウの皮を剥くしあわせ

今朝ブドウの皮をむいていた時、Coccoの曲を思い出した。
何年か前に出たアルバムのなかに、誰かのためにブドウの皮を剥く歌が入っていた。

Gracy Grapes

Pouring yourself a glass of water
Feeding yourself every single day

Let me peal your grapes
Let me peal your grapes
"YES"
That's what only I can do for you

You can come in a flash
You can go anywhere you like

Let me peel your grapes
Please let me peel your grapes
"YES"
That's what only I can do for you

for you, for you

https://www.uta-net.com/song/274761/

あなたはグラスに水を注ぐことも
日々自分自身を養うこともできる

あなたのブドウを剥かせて
あなたのブドウを剥かせて
だって
それは、私があなたにできる唯一のこと

あなたは瞬きのようにやってきて
どこへだって好きなところに行ける

あなたのブドウを剥かせて
おねがい
だって
これがあなたにできる唯一のことだから

(和訳:NoAH)

4年前にこの曲を初めて聴いた時は、巣立っていく自分のこどもに向けて歌った曲なのかなと思ったけれど、
今朝、夫のためにブドウをむいていた時
誰かのためにブドウを剥くことのできる幸せを歌った曲だったのかもしれないと、ふと思った。

別に、朝からそんなセンチメンタルな気持ちでブドウを剥いていたわけでは全然なくて
剥かないと食べないだろうから剥いていただけなんだけど…

ところどころ紫の部分が残ったピカピカ光るブドウを嬉しそうに口に運ぶ夫を見ていると
ブドウをむいてあげられる距離にいることも
こうして一緒にブドウを食べることができる日常も
一つの幸せだなと気がついた。

こんな風に思えるようになったのは
結婚後すぐには一緒に暮らせなかったことや
今まで乗り越えてきた色んな出来事のお陰だと思うと、あながち大変だった経験も、捨てたもんじゃないなと思う。

こどもの頃、友達のお母さんが
「◯◯ちゃんは、ブドウの皮向いてあげないと食べないから〜」
と言ってるのを聞いて
じゃぁ食べなきゃいいじゃん贅沢な
と毒づいていたけれど
今はなんとなくわかる。
ただ甘やかしてるだけじゃなかったかもしれないこと。
ブドウを剥く側にも幸せがあったということ。

そう思うと
毎朝お弁当を作ることも
汗と泥まみれになった靴を洗うことも
私の知らないところで奮闘する大切な人のためにできることは
ほんとは幸せなことなんだなと気がついた。

会えない距離にいっちゃうと、全部できないことだからね。




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