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人生最高のカツ丼を食べながら感じた「生きる=地球旅行」という考え方

お恥ずかしい話ですが、私には「ご飯作るのイヤイヤ期」というものが定期的に訪れます。9月はその期間が長くて、20日前後から毎日

「楽して美味しいものが食べたいー!」

と口癖のようにつぶやいていました。
仕事から帰宅したひーくん(夫)にとっては悪夢のような光景だったと思いますが、私は毎日ベットの上で転がって20時くらいまで駄々をこねていました。

外食の提案やお弁当を買ってこようかと言われても、月末に家計を圧迫するようなことは避けたく、最終的に最高に機嫌が悪い状態で簡単な食事を作り、無言で食べてそのまま倒れこむように寝る…という毎日を過ごしました。

このイヤイヤ期は大体生理の時期と合致するのですが、やっとそれが落ち着いて昨晩は美味しいカツ丼を作ることができました。豚肉にパン粉を付けてを揚げているとひーくんが帰宅し、

「うわぁ、めっちゃいい匂いする〜!何作ってるの??」

パチパチと弾ける油をバックミュージックに響く歓声。カツ丼だよと告げると嬉しそうに

「カツ丼!?すげぇ!最高やん!やばいお腹すいた!」

そんな笑顔を向けられたらこっちまで嬉しくなるじゃないですか…昨日までのことが少し後ろめたく、ごめんねの気持ちも込めて揚げたてのカツの端っこを切って二人でつまみ食いをしました。

その夜のカツ丼は格別に美味しく、高校生男子のように勢いよくがっつくひーくんを見ていたらふと

『あ、そうか、私はこの人と毎日美味しいご飯を楽しく食べるために地球に来たんだった』

とそんなことを思いました。これは私にとっては結構大きな気づきで、なんとなくやっと地球で生きていくって何かわかったような気がしました。

よく「食べるために稼ぐ」みたいな言い方をします。なんのために働くかと言われたら、それは生きていくために衣食住を確保し、できればそこに余暇を楽しむ余裕も欲しいなということで日々仕事をしているんだと思います。
つまり仕事とは、目的ではなく生きるための手段であることが多いかと思いますが、私は仕事自体を目的のように捉えがちでした。なので必然的に衣食住をおそろかにしてしまいます。お腹がいっぱいになればなんでもいい、服も着れたらなんでもいい、家も住めたらなんでもいい…

生き物として生きる上で避けては通れないし、その真髄とも言える食べるという行為。これを軽視していたなと思いました。

地球以外の星では、もしかしたら食べなくても生きているモノもいるかもしれません。もっと次元が変われば、例えば幽霊が壁をすり抜けるように、愛しい相手にも美味しそうな食べ物にも触れることさえできないのかもしれない。

カツ丼を食べながら、私は自分が『地球に旅行しにきた旅行客』の気分になりました。うまくいけば80年以上も滞在できるかなり長期プランなので、こうして自炊もしつつ地球の美味しいものを楽しむ旅行。そんなふうに考えると、旅の友である人たちと、できれば毎日美味しいご飯を楽しく食べることができたらいいなと思いました。

食自体を、生きること(地球旅行)の1つの目的に据えることで、なんとなくですがまたイヤイヤ期が来ても楽しく乗り越えられそうな気がします。

それに、生きることを地球旅行だと考えたら、遠くへ旅行しなくても今いるこの土地をもっと楽しんでみたり、仕事の中に「遊び」を取り入れてみたり、今まで見ていた日々の景色が少しだけ透明感を増しそうです。脳内のキャンバスの横幅がぐーーーんと広がるような開放感を感じます。

さて、今日は地球でどんなことをしましょうか?
冷蔵庫に昨日セールで買った鶏の手羽元があるので、今晩は今までやったことのない調理法を試してみようかな。

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