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”思ったこと”と”考えられること”

その文章、

あなたが思ったことですか?
それとも何かを根拠に考えられることですか?

大学で研究していたときはその明確な区別が求められました。

論文へは思ったことの記載は基本できません。

不明確な部分があれば、ある程度根拠を提示して、可能性がある、示唆された、などと記載します。

(上記3行のような文章だって本当はしっかり調べて引用しないといけない。私が知っているのは一部の学会の事情だけなのだから)

しかし、その研究の世界を離れてからというものの、どんどんその力を失っている気がしてなりません。

ここで、早速この「力を失っている気がする」というのも思ったことですよね。

何か調査を行って具体的な差を見いだしたものではありません。

今日は、そんな”思ったこと”と”考えられること”の区別について、

まあいわゆる、めんどくさい話を展開するので、
読みたい人だけどうぞ。



note は”思ったこと”でいっぱい

ずいぶん為になることがたくさん書いてあるなあと思って日々他の方のnoteを拝読しています。

しかし、このツールが論文などと同じかというと異なる部分があり、

その一例こそ、”思ったこと”を書いてもいいこと

論文は様々な事象が起こる理由を述べる上で、自ら得たデータや引用を必要とし、思ったことは書かない。

さらに内容は、第三者の目で確認され、追加調査が求められることもあります。

一方で、ブログというツールに触れる上では、思いを共有することは目的の一つではないでしょうか。

実際に、「ブログは思っていることを書いているのだから”思った”というワードは省いたほうがスマートに書ける。」

そういった趣旨の内容を記載している記事も見かけました。

しかし、私はこういった環境にあるからこそ、

その区別は明確にし、”思った”と明記されていなくても、

それが浮かんでくるような読み方をしたいと、最近思います。

実は根拠のないことだらけ

という題名にも私の”思い”が含まれているように、

世の中って実は確実な根拠をもって発言することって想像以上に難しいと思うんです。

例えば、この題名だったら「では、実際にどのようなシチュエーションの会話の中で、どのくらいの割合で事実無根な発言が行われているのか」などといったことを私は知る由もありません。

さらには、「根拠をもって発言することって想像以上に難しい」というのも、私の感想ということになります。

「それって、あなたの感想ですよね?」

なーんていうことになるわけですよね。

こういった根拠のない言動はしますが、
私はその内容には固執できないですね。

だってね、間違ってるかもしれないですもんね(笑

ただ、思うことの可能性について突き詰めるなんてことしていたら、
note書けないですよね。

ちょっとここのエビデンスないよね、薄いよね。

なんて言ってたら。

おそらく、その情報が専門的でそもそもアクセスできないこともあるだろうし、

根拠が明らかにされていないこともあるんじゃないでしょうか。

そりゃそうですよね。

大学などで、極めて専門的な一部の領域において、やっと実現できたりできなかったりのことだから。

そんな中で私が意識したいことは、

根拠がない自覚は持ちたい

"どうしてこんなにもみんな明言しないのか"

研究室に配属したときにそう思ってました。

ありがちな口ぐせ

・知らんけど、分からんけど
・たぶん、おそらくね
・まあ、調べてみてくれ

なんていう語尾がどんどん増えていくんですよ。

けど、今は周りに対して、

"どうしてそれを言い切れるのか"

と感じることが増えました。

この感覚は、持ち続けたいと思います。

この意識は、常に客観的に物事を捉えることにつながり、

例えば、

これまで思い込みで行ってきた習慣の改善、

宗教的な考えなどが事実無根であることの把握
(信仰自体はもちろん自由ですよ)、

など、より惑わされず、スマートで快適な生活を目指せると思うから。


それではまた





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