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休息論 -チルと弛緩の関係性-

長い正月休みが終わった。休みが続くと仕事が恋しくなってくる…なんてことはなく、毎日休日を満喫していた。おそらく僕はニート適正が高めの人間なのだろう。

そんな僕だが今年は休みつつも「休むこと」についてあれこれ考えていた。今回はそのことについて話そう。

最近「チル」という言葉をよく聞くようになった。英単語「chill」から来た言葉で、「のんびりする、まったりする」という意味で使われる。またのんびりしていることを示す「チルってる」と言う言葉も使われる機会が増えた。「CHILL OUT」というリラクゼーションドリンクの発売もこの言葉の流行を後押ししている。
(余談だが英単語「chill」のくだけた訳の一つに、「マリファナを吸う」というのがある。こちらは「まったりする」より「キマっている」の方が的確なのかもしれない)

「チル」の認知度上昇を考える上で外せないのが音楽の影響だ。落ち着いたメロウな印象の曲を「チルアウト」と呼ぶことがあり、それが転じて音楽以外でも使われるようになったのだ。「エモーショナルロック」から「エモい」が生まれたのと同じ構図と言える。

「チル」「チルってる」という言葉はコーヒーブレイクやシーシャ、最近はサウナでも用いられるようになった。シーシャやサウナの流行に伴い、「チル」の市民権も拡大している。

サウナ好きの人にサウナの予算を聞いた時「サウナでギリギリまで粘って、そこから水風呂に入った時の感覚が病みつきになる、これが「ととのう」ってことかと分かる」と教えてもらったことがある。緊張で張り詰めた後に押し寄せる弛緩、それが快感であると。

個人的な印象だが、コーヒーもサウナもシーシャも、もしかしたらラーメンも「身体を壊すことで得られる破滅的・薬物的な快楽」があると思う。長い目で見たら身体に良いわけはないが、破滅的な快楽を求め、病みつきになってしまうのだ。

更に言えば「チル」という言葉は、対象の持つ破滅的な意味合いを曖昧にする意味でも使われている。僕たちがサウナやコーヒーブレイクで「チルい」や「チルってる」というか言葉をつかうとき、純粋にくつろいでいるのだけでなく、サウナやコーヒーが身体に与える悪影響から目を逸らしている可能性もあるのだ。

とまぁ正月休みにそんなことをうだうだと考えていた。その時ふと「僕たちがくつろいでいるとき、それは全て「チル」で表現できるのだろうか」と考えた。

答えは「否」だった。コタツでみかんを食べながら、お茶を啜るとき。秋に外を歩いていて、陽だまりの暖かさに触れるとき。ぬるま湯に長々と浸かっている時。正月の箱根駅伝やとんねるずのスポーツ王は俺だ!みたいな定番中の定番のテレビ番組を見ているとき。それらは全て緊張の先に訪れる弛緩ではなく、ただただ緩み切った「くつろぎ」である。こういったくつろぎは「チル」では表現しきれない。

思い返すと正月休みというのは、「チル」では表現出来ない「くつろぎ」の結晶体みたいな存在であった。ひたすらに緩み切った数日を過ごすことで、昨年の疲れが抜け、人の心は大きく満たされる。正月休みには大きな文化的価値があるのだ。

ヒーターの熱でお尻を焦がされながら、緩み切った頭でこんなことを考えていた。こんな正月休みも悪くなかったな、そう思いながら地獄の正月明けを過ごしている。

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