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「面倒くさい」という生き方

親譲りの無鉄砲さで、子供の頃から無茶ばかりしている。

ような子供であればよかったのだが、生憎ながら生まれ持った気質として、活発さのかけらもないのであり、無い袖は振れないのもまた道理である。

思えば物心が付いた頃から、いかに努力をせずに、いかに楽にフワフワと漂いながら中途半端に生きていくかということに心血を注いでいたら、本当にそのような大人になってしまった。私自身が驚いているくらいである。

すべての行動原理が「面倒」かそうでないか。
怠惰ここに極まれり。
キャスター付きの肘をこんなに欲している人材も国内どこを探してもそうそういないであろうという、根っこのしっかりとした怠惰な人間である。

たまに自分で自分を認めてあげないと挫けそうになるので、どうか許されたい。

30代半ば・独身。
そこそこの定職はあってそこそこのお賃金♡がもらえていることをいいことに好き勝手放蕩生活を営んでおり、noteの登録序盤にあれこれ出て来るありがたいヒントなどはすべて読まず、打鍵速度の速さだけ活かして、sanwaのブルートゥースキーボードを叩き鳴らす20時30分である。

言うまでもないが、白物家電の説明書を読んだことはないし、ゲームのチュートリアルはスキップするし、電化製品の調子が悪ければ降るか叩くかする。
非常にプリミティブな生活であり、これもまた悪くないと思っているから始末が悪い。

とりあえず、毎日どこか30分。

その時間だけ、自身の面倒くささに向き合いながら、今後の人生を考えてみようかと思い至った、本日11月28日である。

(明日はイイニクの日だな・・・)


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