あの遠い山の向こうに 落としものをしに行こうとして
僕は市バスの切符を求めた
真っすぐに通り過ぎた広告紙、
券売所の女性は 四月に開店するというトラットリアに
愛する人たちと行こうか思案してみながら
ごく自然に 往復料金を告げるのだった

車窓を擦っては背後へと流れすぎる杉の木々
森の切れ目からのぞく朽ちかけた鳥居は
乗客の思いがけないまなざしによって
今しばらく徒らにあらがいながらも
忘却の地平線へと押し流されてゆく

春の風にふくまれる 哀しみの来方をたずねようとして
不可解な重みを山野に曳き歩いた
生命は一度きりで そうして一度で済むらしいということ
残雪光る春山の片隅で 朽ちてゆくひとつの世界、
薄衣を引き裂いて萌え出るやなぎの芽生え。

咲き染めた梅の老木へ ゆっくりとからだを押しやるのだが
冷えた手指に触れた首筋の燃えるようなぬくみ
しがみつき 結んではほどく
生きてしまった季節が積もっては
あてどなく展延してゆく僕の一日、そして一日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?