ありふれた感傷


あなたが信じられないほどの感傷が
一輪のカサブランカの白き気高き威容に
込められているのだということを
私はあなたに知らせずにおく
このカサブランカは
或る少女の溺死体が
白骨のように白い砂浜に漂着すると
恋に破れた緑色の少女のからだに残された
痛苦の思い出を吸い上げて
新月の夜に発生したという
ファンタジーを持っているのだが
都立家政の商店街で
まるで生きることの罪を背負っているかのように瑞々しい
一輪のカサブランカを花瓶から抜き取ったのだ
あなたはそれをまるで知らず
透明なガラスの花瓶に
軽やかな手つきでカサブランカを挿す


あなたに出会うまで私は
夢みがちな少女の面差しを
光る剃刀の刃に散らしていました
私の夢は悪い夢
甘く苦いアブサンの緑色の液体は
私にまやかしの安息を与え
代わりにやわらかな温もりに満ちていたはずの
幸福の夢を塗り替えてしまった
少女はアスファルトの駐車場を逃げ回る
異形の男たちから逃げた先では
剃刀のような月が尖り
少女は月に縄を引っ掛けるが
月があまりに尖っているものだから
縄は切れて少女は落ちる
血まみれで私は目を覚ます


今ごろどこかで泣いているかもね
泣き疲れて眠れないでいるかもね
あなたが不意に口ずさんだ
軽薄な恋の歌に胸は苦しんで
死んで
死んで
死なないで
あなたは死なないで
今ごろどこかで痛んでいるかもね
痛みを抱えて笑っているかもね
あなたが不意に口走った
私がいない未来に愛は苦しんで
死んで
死んで
死なないで
どうかあなたは永遠に死なないで
永遠を信じさせてあげようか
あなたは安心して眠って
私にからだをゆだねて


些か疑問だ
嵐の後あなたはあまりに無垢になって
再び溢れた太陽の光に湯浴みして
暗い影を拭い去ってしまうのではないかと
私は海辺から遠い水平線に人影を認めるたび
それがあなたである可能性があるだけで
仄暗い悦びを感じるようになるのではないかと
私は水平線を目指して海の中を歩いていこう
ついぞあなたは私に泳ぎ方を教えてくれなかったから
私はいずれ息絶えて
白いカサブランカの花を咲かせよう
太陽の光線が突き刺さる夏の日
私とあなたは手を取り合って
海風が吹き寄せる砂浜を歩いていたことがある
実際の砂浜はそんなに感傷的でもなく
吹き寄せる砂粒から目を守りながら
短い砂浜を往復するのが精一杯だった
あなたは私の足元にしゃがみこんで
私が片足立ちをして靴から砂を出す間
黙って肩を貸してくれた

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