ありふれた感傷
一
あなたが信じられないほどの感傷が
一輪のカサブランカの白き気高き威容に
込められているのだということを
私はあなたに知らせずにおく
このカサブランカは
或る少女の溺死体が
白骨のように白い砂浜に漂着すると
恋に破れた緑色の少女のからだに残された
痛苦の思い出を吸い上げて
新月の夜に発生したという
ファンタジーを持っているのだが
都立家政の商店街で
まるで生きることの罪を背負っているかのように瑞々しい
一輪のカサブランカを花瓶から抜き取ったのだ
あなたはそれをまるで知らず
透明なガラスの花瓶に
軽やかな手つきでカサブランカを挿す
二
あなたに出会うまで私は
夢みがちな少女の面差しを
光る剃刀の刃に散らしていました
私の夢は悪い夢
甘く苦いアブサンの緑色の液体は
私にまやかしの安息を与え
代わりにやわらかな温もりに満ちていたはずの
幸福の夢を塗り替えてしまった
少女はアスファルトの駐車場を逃げ回る
異形の男たちから逃げた先では
剃刀のような月が尖り
少女は月に縄を引っ掛けるが
月があまりに尖っているものだから
縄は切れて少女は落ちる
血まみれで私は目を覚ます
三
今ごろどこかで泣いているかもね
泣き疲れて眠れないでいるかもね
あなたが不意に口ずさんだ
軽薄な恋の歌に胸は苦しんで
死んで
死んで
死なないで
あなたは死なないで
今ごろどこかで痛んでいるかもね
痛みを抱えて笑っているかもね
あなたが不意に口走った
私がいない未来に愛は苦しんで
死んで
死んで
死なないで
どうかあなたは永遠に死なないで
永遠を信じさせてあげようか
あなたは安心して眠って
私にからだをゆだねて
四
些か疑問だ
嵐の後あなたはあまりに無垢になって
再び溢れた太陽の光に湯浴みして
暗い影を拭い去ってしまうのではないかと
私は海辺から遠い水平線に人影を認めるたび
それがあなたである可能性があるだけで
仄暗い悦びを感じるようになるのではないかと
私は水平線を目指して海の中を歩いていこう
ついぞあなたは私に泳ぎ方を教えてくれなかったから
私はいずれ息絶えて
白いカサブランカの花を咲かせよう
太陽の光線が突き刺さる夏の日
私とあなたは手を取り合って
海風が吹き寄せる砂浜を歩いていたことがある
実際の砂浜はそんなに感傷的でもなく
吹き寄せる砂粒から目を守りながら
短い砂浜を往復するのが精一杯だった
あなたは私の足元にしゃがみこんで
私が片足立ちをして靴から砂を出す間
黙って肩を貸してくれた
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