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山城国一ノ宮 賀茂別雷神社(上賀茂神社)@京都

京都といえば、いやいや、京都の神社といえば上賀茂神社に下鴨神社、八坂神社、平安神宮、北野天満宮、伏見稲荷大社、石清水八幡宮・・・ですね。
京都といえば、お寺の方が多く思い浮かびますが、実は有名な神社も多くあるのです。
中でも、山城国の一ノ宮である上賀茂神社と下鴨神社を参拝。

さて、上賀茂神社の正式名称は、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)といいます。
上賀茂神社は、京都でもっとも古い神社であり、雷(いかづち)の御神威により、厄を祓いあらゆる災難を除き給う厄除(やくよけ)明神、守護神として広く信仰されています。
また世界遺産の神社としても有名です。

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鴨川にかかる「御薗橋(みそのばし)」を渡り境内へ向かうと一の鳥居が見えてきます。

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一の鳥居から二の鳥居までは、このように長い参詣道と芝生の馬場が広がっています。
緑に包まれた下鴨神社の「糺の森(ただすのもり)」とは違い、とても開放的な参詣道です。

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二の鳥居で一礼をして、境内へ。

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細殿の前に、二つの砂山があります。
これが上賀茂神社のシンボリックな光景です。

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砂山は「立砂(たてずな)」と呼ばれ、賀茂別雷大神が降臨したと伝えられ、本殿の背後に位置する「神山(こうやま)」を模したものだそうです。
頂上部分には2本(向かって右)と3本の松葉(向かって左)が立てられています。

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手水舎
手水者は、すごく原始的な感じがしますが、そこが厳かさを醸し出しているのかもしれません。
境内には「御物忌川(おものいがわ)」、「御手洗川(みたらいがわ)」という2つの川と、それらが合流した「ならの小川」が流れていています。
ならの小川は、葵祭の禊の儀式を行う神聖な場所としても知られています。
手水舎の水は、賀茂別雷大神降臨の地である神山の水を汲みあげたものが使われているのです。

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楼門の前には、玉橋がかかっています。
普段は渡ることができませんが、神事の際には使われるようです。

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楼門をくぐると、拝殿に向かいます。

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御本殿を覗き見ることはできませんが、とても神聖な空気が流れています。

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主祭神
 賀茂別雷大神(かもわけいかづちおおかみ)

御由緒
神代の昔、本殿の背後北北西に位置する秀峰・神山に御降臨になり、第四十代 天武天皇の御代・白鳳六年(678)には、山背国により賀茂神宮が造営され、現在まで殆ど変容することのない御社殿の基が築かれました。
第五十代 桓武天皇による平安京遷都以降は、皇城鎮護の神・山城国一之宮として歴代の天皇が行幸・奉幣祈願され、明治時代以降大東亜戦争終戦まで伊勢の神宮に次いで全国神社のなかでも官幣大社の筆頭となりました。
古より皇族はもとより、貴族、武家の社参相続き、現在も多くの人々に崇敬されています。
平成六年には二十三万坪の境内全域が「古都・京都の文化財」の一つとして世界文化遺産に登録されました。

※出所:上賀茂神社HPより

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御朱印

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御神話
太古の昔、神代の時代に遡ること天上で雷鳴が轟き、一本の丹塗矢にぬりのやが降って参りました。
山背國に移り住んだ賀茂一族の姫である賀茂玉依比売命かもたまよりひめのみことが石川の瀬見の小川(現在の賀茂川の上流)で身を清めているとき、川上より流れて来たその丹塗矢を不思議に思いお持ち帰りになられます。
その矢を丁重に扱われ、床に祀りおやすみになられたところ、矢に籠もっていた不思議な力によってご懐妊され、立派な御子をお産みになられました。
お生まれになった神を当初は御子神みこがみと申し上げ、御子が元服を迎えしとき、祖父であり一族の長である賀茂建角身命かもたけつぬみのみことが八尋殿やひろどのを造り、数多の神々を招き七日七夜の祝宴を催されます。
祝宴の席で賀茂建角身命が御子に対し「父と思う神に盃をすすましめよ」申され盃を渡したところ、御子神は「我が父は天津神あまつかみなり」と言って盃を天上に向けて投げ、甍いらかを破って雷鳴とともに天へ昇ってしまわれました。
残された賀茂建角身命、賀茂玉依比売命が再び御子に会いたいと乞い願っていたある夜、賀茂玉依比売命の夢枕に御子が顕れ「吾れに逢はんとは、天羽衣・天羽裳を造り、火を炬き鉾を捧げ、又走馬を餝り、奥山の賢木を採りて阿札に立て、種々の綵色を垂で、また葵楓の蔓を造り、厳しく餝りて吾をまたば来む」とのお告げを聞き、その御神託に従って神迎の祭をしたところ、立派な成人のお姿となり、天より神として神山に御降臨されたと伝わっております。
この御子神が当神社の御祭神「賀茂別雷大神かもわけいかづちのおおかみ」であり、そこで祭りが始まった事が上賀茂神社の起源であります。

『「釋日本紀」所引、山城國風土記逸文』、『賀茂舊記』より


御神紋
上賀茂神社は、社殿のそこかしこに葵(二葉葵)の文様が刻まれた金具で飾られています。また北東の杜には二葉葵が群生し、訪れる人々を迎えます。
葵は古く「あふひ」と読み、「ひ」とは「神霊」神を意味し、葵とは「神と逢うこと」であり、また「逢う日」でもあるのです。御祭神降臨の際に「葵」を飾り祭りをせよとの御神託があったことから、御神紋となり社殿を飾り、神と人とを結ぶ草として古来大切に守られてきた植物でもあります。

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葵祭
京都の三大祭の一つである葵祭。
王朝絵巻を目の当たりにする、雅なお祭りです。
その起源は太古、別雷神(わけいかづちのかみ)が現社殿北北西にある神山(こうやま)に御降臨された際、御神託により奥山の賢木(さかき)を取り阿礼(あれ)に立て、種々の綵色いろあやを飾り、走馬を行い、葵楓(あおいかつら)の蔓(かずら)を装って祭を行ったのが祭祀の始まりだそうです。
今では、賀茂祭(葵祭)の行列巡行は有名です。
一度は生で見てみたいと思っています。


片岡社(片岡御子社)
境内には末社が二十数社あるそうですが、その中でも楼門の前にある片岡社は、片岡御子社として上賀茂神社の祭神である賀茂別雷大神の母神、賀茂玉依姫命をお祀りしています。
平安の昔より縁結びの神として親しまれ、源氏物語の紫式部も参拝されたと言われています。

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京都を代表する世界遺産の神社、上賀茂神社・下鴨神社。
両社は“賀茂神社(賀茂社)”と総称され、どちらも古代豪族「賀茂一族」の氏神を祀っています。
伊勢神宮では下宮から内宮の順に参拝をしますが、賀茂神社の上社、下社については、どちらから参拝しても問題はないそうです。
賀茂神社の両社を参拝することで京都最古の最強パワースポットのご利益を得られるとのことです。
山城国の一ノ宮であり、古くから京の都を守ってきた賀茂神社は、いつ訪れても素敵な神社です。
また、京都に行った際には、参拝させていただきます。

あ、
ちなみに、門前にある葵屋やきもち総本舗さんのやきもちは、上賀茂名物でとても美味しいです。
九州でいうところの梅枝餅に似ています。
上賀茂神社に行った際は、ぜひご賞味ください。(笑

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神社: 賀茂別雷神社(上賀茂神社)
住所: 京都府京都市北区上賀茂本山339
HP: https://www.kamigamojinja.jp/


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