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霊山・英彦山神宮@福岡

福岡県唯一の神宮。
修験道の道場「英彦山大権現(ひこさんだいごんげん)」として栄え、中岳山頂の上宮を本殿とし、中腹にある奉幣殿(ほうへいでん)で年間祭祀や祈願が行われています。
英彦山は古代より神体山として信仰されてきました。

今回は、英彦山神宮の奉幣殿を参拝しました。

子供の頃は山頂まで登山をしたものですが、今は中腹までが精一杯です。(笑
車で、中腹の駐車場まで行くとスロープカーがあり、山道をショートカットすることもできます。
参道は、多くの石段を登っていくことになります。

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なだらかではあるが、地味にキツイ石段を登ります。
まだここは参道を歩き始めて直ぐのところですが、すでに洗礼を浴びている感じです。
参拝と言うよりは、登山です!

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やっと二の鳥居に到着。
ここからが本当の参道ですが、すでに登山道です。
さぁ、ここからが本番です。

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見上げると長い長い石段が待ってます。
参道の両サイドには、昔山伏修行をしていた人たちの住居跡が続いてます。
最盛期には3,000人以上の人たちがここで寝起きをしながら修行をしていたそうです。
驚きです!

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途中で振り返ると、どれだけ登ってきたのかが判ります。

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やっと、やっと、見えてきました。
あと少し!

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無事に奉幣殿に着きました。
英彦山は神体山で、英彦山神宮の本殿は頂上に上宮にあり、中腹に中宮、下宮があり、その下に奉幣殿があります。
また山中には、多くの摂末社もあります。
子供の頃何度も頂上まで登ったことがありますが、今は奉幣殿までがやっとでした。
おすすめの参拝方法は、登りはスロープカーを利用し、帰りを歩いて下山するルートがよいと思います。
ぜひ、無理なく参拝されてください。

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石の鳥居から先が英彦山への登山口であり、上宮への参道となります。

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天之水分神(あめのみくまりのかみ) 龍神
御龍神水は、修験行者が入峰に峰中の飲用とお守りとして用いたものだそうです。
現在では、不老長寿の御神水としていただく参拝者が多い、霊水です。

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龍の口から霊水が・・・
有り難く分ていただきました。

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宝印絵馬
英彦山神宮の御宝印(牛王宝印)が描かれた絵馬です。
神の使いである三羽の鷹と「彦御山宝印」の文字を図様化したものです。

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英彦山神宮 祈年御田祭
3月15日は、祈年御田祭です。
御田祭は、1000年の歴史を持つ「松会祈年祭」という神事の中の一つであり、 五穀豊穣を祈願します。
鍬入れ、畝切り、田打ち、畔塗り、馬杷、代掻き(しろかき)、種蒔き、御田植、など田植えの一連の所作を神前で行います。

写真の木像神牛は、神牛を曳いて押す馬杷(まぐわ)の際に使用します。

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以前にもお話ししましたが、神宮がつく神社は日本には24社しかなく、なかでも皇室の祖先神を祭神としている神宮は、伊勢神宮、伊弉諾神宮、霧島神宮、鵜戸神宮、鹿児島神宮、英彦山神宮の6社です。
そんな神宮が九州には4社もあり、福岡県下にはその1社があると思うと誇らしく思えます。
今まではそれほど気にも留めていなかったのですが、神社を知れば知るほど新しい発見があります。
その発見から、つくづく私たち日本人は神の国(八百万の神の国)の子なのだと感じるのは私だけでしょうか?
宗教的、政治的、哲学的な話をするつもりはありません。
ただ昨今の私たちは、祈りを忘れているように感じています。
特に今回のコロナ禍において人々の様々な醜態を垣間見たように感じます。
古代からさまざまな疫病や国難などを幾度となく乗り越えてきた私たち日本人は、祈りとともに勝ち残ってきたのではないでしょうか。
その結果(そのことへの感謝)が、祭立てるようになったと思います。
身の回りの神々にもう一度祈りませんか?委ねてみませんか?

西洋的な祈りは懺悔と救いだと思いますが、日本人的な祈りとは感謝と希望だと考えます。
だからいまこそ、日々の日常に感謝し、あるべき当たり前に感謝し、八百万の神々や万物に感謝したい、そんな風に考えてしまいました。


主祭神
 ・天忍穗耳命 (あまのおしほみみのみこと)
配祀 
 ・伊弉諾尊
 ・伊弉冉尊

御由緒
英彦山は、古来から神の山として信仰されていた霊山で、御祭神が天照大神(伊勢神宮)の御子、天忍穂耳命であることから「日の子の山」即ち「日子山」と呼ばれていました。
嵯峨天皇の弘仁10年(819年)詔(みことのり)によって「日子」の2文字を「彦」に改められ、次いで、霊元法皇、享保14年(1729年)には、院宣により「英」の1字を賜り「英彦山(ひこさん)」と改称され現在に至ってます。
英彦山は、中世以降、神の信仰に仏教が習合され、修験道の道場「英彦山権現様」として栄えましたが、明治維新の神仏分離令により英彦山神社となり、昭和50年6月24日、天皇陛下のお許しを得て、戦後、全国第三番目の「神宮」に改称され、英彦山神宮になっています。
※出典:英彦山神宮HPより


御朱印

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神社: 英彦山神宮
住所: 福岡県田川郡添田町大字英彦山1
HP: http://hikosanjingu.or.jp/


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