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「お金」以外も収入カウントで良いと思う

「お金ライター」で投稿しようと思って書いたが、「お金」というより「収入」の話になった。
先にまとめると、少し俯瞰して自分の中の年収をあげて豊かな気持ちになりましょう、という話だ。

◇◇◇

年収の割に高級な美味しいものをずいぶん食べている、という自覚がある。

外食に行けば夫婦2人で20000円近くするのはザラだし、冷凍庫にはフォアグラや馬刺しが入ってるし、ワインセラーは50本入る巨大なものだし。

「食」は趣味なので、スキューバダイビングや海外旅行が好きな人がそれに何10万とぶっこむのと同じだ。
いや、むしろそれよりは安いだろう。

でも実は、そうやって自分のお金で美味しいものを食べる以上に奢りでそれ以上の高級品を食べてるんじゃないかと思う。

◇◇◇

私はこのことを近しい人には言えないでいる。

病院に身を置いているせいもあるけれど、昔から美食家のおじさん方に可愛がられる。
いや、逆かもしれない。
「美食家のおじさん」がいない職場だと、私の方が長続きしていない。
いつも食を通して人間関係を作っているのだ。

私の周りのおじさん達はほとんどが医師で、もうそれなりのポストについている。
彼らは私のみならず私の夫まで誘い、美味しいお店に行っては当たり前みたいにほとんどの額を払ってくれる。
私は支払いの伝票をほとんど見たことがないけれど、75%割引くらいしてもらっていると思う。
悪いことをしているわけではない。
それでも人にサラッとそのことを言えないのはどこか後ろめたいからだ。
「自分で稼いだ以上のものを、不釣り合いなものを受け取るのは恥知らず」だと、心のどこかで感じている。人に後ろ指をさされる行為だと思っている。
今だって「これ、めちゃくちゃ好感度低い記事なんじゃ…」とビクビクしながら書いているのだ。
だって読むだけならば、貧乏エピソードのが面白い。
もしくは「自分でお金を稼ぐ方法」のが為になる。
私が書いているのは(そして普段からしてるのは)、単なる奢ってもらい自慢にしか聞こえないかもしれない。

それでも、自分の為にこう言おうと思う。
奢られることも能力給のようなものなのだ、と。

◇◇◇◇

収入、というと給料明細に印字されたあの数字が全てと思いがちだ。
いわゆる「お金」の形で受け取れるもの。自分が目にみえる働きをした対価。

でも本当は、それ以外の形で受け取っている物も「収入」として考えてもいいんじゃないだろうか。

私にとってはそれは「美味しいごはん」だけど、人それぞれ「映画のチケットはよくもらう」とか「お米は毎年送られてくる」とか、お金の形じゃないけど、大した苦労無く受け取れるものが何かしらあると思う。
で,これって

美味しい食事場所の情報だとか、
大好きな映画についてキラキラと語る姿だとか、
実家の両親との良好な関係だとか、

こちらが自覚していないとしても何かを与えることができているから、差し出されるのだと思う。
ギブ&テイク。仕事で「労働」を差し出すのと変わらない。
違うのは、苦労を伴わないところ。
私達は、苦労なく無自覚に与えたものを仕事とはなかなか認識できないけれど、それでも罪悪感なくそれを受けっとって「収入」だと思って良いと思う。

そうやってカウントすると、あなたの年収も少し上がりませんか?
そして、なんだか豊かな気持ちになりませんか?

額面の年収をあげることばかり考えるより、ずっと簡単に気持ちよく年収アップが図れると思うのだがどうだろうか?

私は午前中そんなことを考えて、豊かな気持ちに浸りながら帰ってきたら、机の上にこんなものが。

甘い甘い苺のラテ!! クリスマスバージョン!!

こうやって、豊かさを感じた気持ちが次の豊かさを呼び込む。
収入は、こうしてあげるものだと思うのだ。

なのでこれからは、恥じることなく罪悪感なく、ただただ「嬉しかったこと」として美味しいものを食べたことも普通に発信しようと思う。
リアルでもネットでもね。

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