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普通でないことに囚われすぎると病んでしまうから②

普通の大きさの耳を作るために、小学5年生〜6年生の時期に手術をした。左右につき2回ずつ、計4回の手術。

手術後、包帯を取って初めて新しい自分の耳をみた時の正直な感想は「不恰好な耳だなぁ」

前の耳には愛着があったけど、新しい耳はすぐには好きになれそうになかった。

結局、手術後は耳を隠して生活していた。
耳を隠せば補聴器も見えないし。
手術前はカチューシャ型の骨伝導補聴器を使っていたが、手術後は耳穴補聴器に変えていた。

「耳が見えなければ」、普通。

これが手術後の私を苦しめた。

耳を見せなければ
補聴器が見えなければ
難聴者だとは気づかれない

耳を隠すことは、本当の自分を隠していることになるんじゃないか。そう思ってしまうと何だかモヤモヤして、悩んで、どうしようもなく自分のことが嫌になって落ち込んでしまう時期があった。

色々悩んだ時期を経て、今は自分の耳のことはいい意味で深く考えないようになった。
考えすぎると病んでしまうと悟ったから。
生まれ持ったもの、置かれた環境で生きていくしかない。それが私なりに導き出した結論。

不恰好な自分の耳を愛せるようになったのは、私が嫌いな耳を好きだと言ってくれた人と出会えたから。
不完全な自分を認める。欠けてるものがあっても良いんだと今は思えている。


昔の自分へ。
今はこんな自分で良かったなぁ、と幸せに生きれているよ。耳なんてどうでもいいから、自分の人生楽しく生きようぜ。


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