普通でないことに囚われすぎると病んでしまうから①
タイトルは、私なりに自分と向き合った結果、辿り着いた境地です。
私は自分の耳が人とは違うことは幼い頃から理解していました。でもその頃は自分の耳が嫌いとか、皆と同じお耳になりたいとかは全然思っていなかった。ただ耳が小さいだけ。皆はつけてないもの(補聴器)をつけてるけど。
補聴器をつければ音が聞こえる。お風呂やプールに入るとき、寝るときは外す。電池が切れると聞こえなくなる。私にとっては物心ついたときから続く当たり前の生活。
お姉ちゃんは行かないけど、私だけたまに車で1時間半かけて、先生のところにいく。そこでは先生とお話ししたり、本を読んだりして遊んでいる。たまに聴力検査もする。ピッピッピーとか、プップップーとか、色んな高さの音が聞こえてくるから、聞こえたらボタンを押す検査だ。
そこがどんな所なのかわかっていなかったけど、就学前まで通って、卒園式では代表でスピーチをすることになって、母親に怒られながらスピーチを覚えたことは今でも覚えている。ちなみにその時私が通っていたのは難聴幼児通園施設。聞こえの教室、ことばの教室と言われているところでした。
母から度々聞かされていた「大きくなったら大きいお耳をつくるからね」という言葉。
ど田舎に住んでいたが、年に一回は遥々東京に行き、大きな病院で先生に診てもらう。そんな日々の中、どうやら私は小学5年生になったらお耳をつくる手術をすることになっていることがわかってきた。
手術が嫌なわけではないけど別に今のちいさい耳のままでいいのになぁ。でも今更手術をする流れに逆らう気持ちもなかった。
そして手術をすることになった。
〜この手術によって人生が大きく変わった〜
……ということにはならず(笑)
まだまだお耳との付き合いは続きます。
次は、手術後のこと、中学生以降の自分の耳の悩みについて振り返ろうと思います。
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