怒らない

結論、怒るメリットって1つもないと思っているので、怒りの気持ちが発生しないように普段からとても気を付けています。

怒る理由は人それぞれだと思いますが、どういった時に怒りが発生するのか考えてみました。
A.自分主体の場合:相手を理解できない時
B.相手主体の場合:嫌な気持ちにさせられた時

辺りではないかなと。

でもこの2パターンの現象を避けるのって、普通に生きていたらほぼ不可能だと思うんです。だからこういった現象が起きる事を前提に、①起きた時どうすれば良いんだろう(対策)、もしくは②できるだけ起きないようにするにはどうすれば良いんだろう(予防)ということを考えてみるのが良いのではないかと思っています。

ではまず①起きた時にどうすれば良いか(対策)について、そしてA.自分主体の場合:相手を理解できない時を考えてみます。何か対立が起きた時、私は悪くない、あなたが悪いをお互いが言い合うという不毛な構図になってしまうと思うんですね。そんな時にすごく役に立つ哲学の考え方があります。

ドイツの哲学者であるヘーゲルさんが唱えた弁証法という考え方です。その中のアウフヘーベンという行為がとてもステキなので図で表してみました。私が言ったこと/思ったことをテーゼ、相手からの批判をアンチテーゼとします。

弁証法とアウフヘーベン

アウフヘーベンとは、テーゼ/アンチテーゼという対立関係を脱却して、より高次な次元(ジンテーゼ)に上げることを言います。アウフヘーベンはドイツ語で拾い上げる、保存する、破棄するという意味があるみたいです。まさにテーゼ/アンチテーゼの立場を保存しながら対立は破棄し、それを持ち上げていこうといった感じですね。アウフヘーベンが万能というわけではないですが、この方法を取り入れる事で、怒りの原因である対立関係を見直すきっかけにはなりそうですよね。

次にB.相手主体の場合:嫌な気持ちにさせられた時の対策を考えてみます。恐らく3つかなーと。
1、応答する
2、逃げる
3、気にしない

1、応答する
それは嫌ですと応答するだけでも案外変わったりするものです。ただ先ほど説明したヘーゲルさんのアウフヘーベンのように、嫌な気持ちにさせられた対立関係をどうやったらより良い次元に持っていけるかの行動が出来たら良いですよね。でもこれ実際にやるのは相当難しいんじゃないかと思っています。相手と同意を得ながら高次な案へ持ち上げるには、それなりのトーク力や雰囲気づくりが必要になってしまうんですよね。立場や環境が違う人相手だともっと難しくなってくると思います。なので何度も言ってしまいますが、アウフヘーベンは万能ではなく1つの手段となります。ただ、テクニックと捉えられるのはとても嫌なんですが、出来るだけ誰とでもアウフヘーベンできるようになる方法(というより要素?)もあるので、それについてはまた後でまとめてみようと思います。先に言ってしまうと尊敬する事と時間をかける事なんじゃないかなと思っています。

2、逃げる
身の危険を感じたり、どうにもならなさそうであれば逃げてしまってみても全然良いと思います。動物は危機的状況になると本能的に逃げるか戦うかを選択するらしいです。因みに私も逃げることで良くなったケースが多くあります。そして人間は忘れることができるという才能があるので、時間をかけて嫌なことは忘れちゃった方が良いと思います。

3、気にしない
気にしないよう我慢するという意味ではありません。どの場合でもなるべく我慢はしないようにしたいですね。我慢ばかりは結構ツラいので。この気にしないというのは常日頃から嫌な気持ちにならない状態を作っておくという意味になります。これは7つの習慣という本で、反応的ではなく主体的になりなさいという章が近いことを言っていると思います。雨が降ったら嫌な気持ちになるといった、外的要因に自分が左右されてしまうような反応的な態度をやめて、雨に関係なく機嫌良くいるために主体的になりなさいという感じだったと思います。とは言っても何が起きても100%嫌な気持ちにならないというというのは仏すぎるので、95%は嫌な気持ちにならない状態でいたいですね。

最後に②起きないようにするにはどうすれば良いか(予防)について考えてみます。これはB.相手主体の場合を避けることは不可能なので(一切誰とも関わらないという方法がありますが、、、)A.自分主体の場合:相手を理解できない時のみを考えてみます。これもざっくりと下記が思い付きます。
1、自分に相手を理解する余裕がない時
2、自分が相手を理解しようとしていない時

1、自分に相手を理解する余裕がない時
これは忙しい人に多いと思うんですよね。自分をコントロールできるようスケジュールを見直したり、ぼーっとする時間を作ったりして、できるだけ沢山寝ましょう。あとよくありがちな自分が辛いから察してほしいというのもあります。察して欲しいというのは相手の都合を考える余裕がなくなっているともとれますよね。自分もたまにやってしまうので要注意ですが、相手にとってみれば知ったこっちゃないって話ですから上機嫌にいきましょう。

2、自分が相手を理解しようとしていない時
これは余裕の有無以前に相手を理解しようとする気がないのでとても厄介です。やや極論ですが、相手を理解する気がないし今後もする気がないと相手を人間として見ることができなくなっていってしまうんじゃないかと思っています。そういった環境に慣れてしまうと、悪意も無く無意識にそういった行動が増えます。当然相手を理解しない言動も増えるので、怒りも買いやすくなります。

これに近い分析をした哲学者がいます。ドイツの哲学者、ハンナアーレントさんの「悪は凡庸(平凡)である」っていうやつです。戦争の悲劇を考察した話なので重くならないようかなりライトにお話しすると、第二次世界大戦でユダヤ人が大変な目に遭い、それはなぜ起きてしまったのかを解き明かすお話です。当時ユダヤ人に酷いことをしていた実行隊長がアイヒマンという人物なのですが、そのアイヒマンが逮捕され公開裁判が行われるのをアーレントが見ていました。とんでもない悪人が出てくると思っていると、実際はなんともひ弱そうで真面目な役人のような印象で、まさかあんな酷いことができるような極悪人には見えなかったそうです。そして彼は自分の行った事について、上からの命令であり、自分の仕事をまっとうしただけだしか言わなかったと言います。アーレントはこれを見て悪は平凡だと言ったわけです。

私なりの考察ですが、なぜそんな酷い事ができたのかを考えると、上からの命令によって正当化されてしまったせいで自分の行いが作業となってしまい、相手のことを考えられなくなってしまったこと、つまりユダヤ人を人間とみなさなかったことがあると思っています。つまり相手のことを理解しようともせず、何も考えなければ人間は酷いことをしてしまうという危険性があるわけです。パワハラ等も割と近しい例なんじゃないかなと。私も昔パワハラを経験したことがあり、なぜ人は理不尽な怒り方をしてしまうのかと考えたのが哲学を学ぶきっかけでした。当時は大変でしたがもう今は忘れて、逆に哲学に触れることができて感謝しています。笑

偉そうにつらつらと書いてしまいましたが、やっぱり怒りは感情なので対策や予防をする事はとても難しいです。もし怒ってしまったら自分はそれだけ頑張っていて余裕がなくなってしまっているな、悪はすぐ発生してしまうものなんだ、どうすればアウフヘーベンできるかなと冷静になってみるのが重要かなと思います。できればこれ以上、争いや戦争が起きないよう祈るばかりです。それでは。







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