見出し画像

0507_読んで生きる

 気づけば時間はどんどん進むのだった。
 カチカチともコチコチとも、秒針の音さえ鳴らず、ただなにもなかったようにして時は進む。いいことがあった時も、悪いことが重なるときも、同じ早さで同じ強さで時が進み、私が進む。

「私はまだこんなところにいるのか」

 愕然と呟いてみるが、私が今いるのは本屋である。町の小さな駅前本屋。そして、私は今日、50歳になった。なんの感慨もなく、むしろこんな風に絶望さえ感じているのには訳がある。

 今から10年前、そのときもまた、私は激しく後悔をしていた。いかに読書が素晴らしいのか、齢40にしてようやっと理解したのだった。10年前の4月、ある同僚が人事異動で私の部署にやってきた。数字のとれるスター営業マンとの触れ込みであったが、なるほど、彼はすぐに実績を伸ばしていく。
 一度、一緒に客先を回らせてもらった。当社商品のPRの上手さもさることながら、何より客との雑談において彼は幅広い知識を披露していたのだった。その一つ一つの知識はどうやら浅いものだそう(本人曰く)だが、全てが話のきっかけとなっている。話の幅が広く、どの担当者の趣味にもコメントができる程度には『それ』を知っているのだ。お客さんはもちろん一人ではなく数十社の何十人もの担当者に対してそれができるのである。これは彼の大変な強みではないか。私は、密かに彼に憧れた。
 私だって、この歳になるまで本くらいちょこちょこ読んではいた。けれどそのジャンルは偏っているし絶対的な冊数も少なく、とても読書家とは言えないのだった。
 それで、だ。10年前の40歳の誕生日をきっかけに様々な本を読み続けようと決心した。ルールは簡単。町の唯一の小さなこの本屋で一般書のあいうえお順に並べられた作者の本を端から順に読んでいくのである。読み終わったらとなりの本、それも終わればその隣・・・・・・と読み進めていく。最初のうちこそ、読むペースが遅いわ、なかなか頭に入らないわで困ったものだったが、段々とコツなのか要領を得たのか、するするとページが進むようになったきた。
 けっこう読んだものだな。そう思って、50歳を迎えた今日、改めていつもの本屋の棚を眺めたのだが、なんとまだこの店の半分程度も読破できていないらしい。

 読み終えた棚を背に、開けた目の前の残る多くの棚を見る。
 愕然とした後、私はこう、胸の奥がワクワクとなにか沸き上がるものを感じていた。
 10年で色々な本を読んだ。正直その全てが残っているわけではない。けれど、残っているものも思っていたより多い。50歳になった今、私は向こう10年でまたこんなにある本を吸収することができるのかと思うと嬉しくてたまらない。

 本はきっと毎日(と、まではいかなくても)新刊が出るのだろう。いくら私が10代からこうして毎日必ず読み続けていたとしても、きっと読み尽くすことはできないものである。そう考えると40歳から読書家を目指したのも、何ら遅くはないし、50歳になった今日から更なる読書家を目指すことも遅くないだろう。

 いつだって、本は私を待っていてくれるのだ。 
 


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
18時からの純文学
★毎日18時に1000文字程度(2分程度で読了)の掌編純文学(もどき)をアップします。
★著者:あにぃ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?