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0107_区切って吐いて

 今日は1月7日なので10日からにするし、10日までいけばもう16日からにして月半ばからにするも良し。いっそのこと、もう月末を待ち、来月初日を開始にするのが良いと、私は常々区切りを探してるのである。なぜだろうかと、考えてみた。
 『キリの良さ』に、どこか清潔感を持っているような気がする。折り目正しく、丁寧に、3から始めるのではなく1から順を追って1つずつ進めて10で終わる、そこに綺麗な快感を持つ。私は、そんなに几帳面でも所作が丁寧なわけでもない。どちらかと言うと雑な性分だと思う。ものを出しっぱなしにしてみたり、洗濯ものや洗い物は極力まとめてやろうと思うタイプ(先送りしているのだと最近気づいたけれど)。でも、3や4の行程から物事を始めるのを嫌うところがあると自覚している。
 至極、面倒な性格である。
 こういう私だから、例えばなにかのマニュアルを作ろうとなると、ムラのあるマニュアルが仕上がることだろう。細かく記載したい時にはくだらない文言まで一言一句丁寧に書き留める。一方でもう面倒だなと思ってしまうと、『手順3と同様※一部要確認』などと簡略化し、果たして何を要確認するべきなのかも不明なままで書き起こす。まぁ、こんなものでいいかと思えるならばそれでも良いかもしれないが、私はちゃんと適当にできない性格でもあるようだ。これらの性分や性格や考えでもってマニュアルを作ったならば、雑なところと仔細に富む部分のムラがあるそれが出来上がり、私はそんなものを作り上げた自分を今度は卑下し始めるのだ。そこから劣等感と自己否定の嵐に飲み込まれて一日を終えるのが常である。ああ、もしかしたらその反動と先送り癖がうまく調合されるのが『区切り』なのかもしれない。始まりをキリ良くして快感としつつ、先の区切りで成そうとすることである種の先送りに出来ている。
 だから、私は区切りが好きで、性分にあっていると思う。
 でも、そればかりではいけないなと思った。行動するときに求める区切りは概ね行動が先延ばしにされてしまうので、それを改善させるにはいっそもう区切りを意識しないことが重要なのだ。
 ふと、私はなにかの教示を得たかのように、頭のなかがクリアになった。そして思い立つ。
 今日、私は告白しよう。
 なんで今日と思われるその日こそ、区切りなどなくベストタイミングである気がしている。そうだ、思い立ったが吉日と言うではないか。今までキリの良さを求めて先に延ばしていたそれを今日、全て告白しよう。私はスマートフォンを取り出してコールした。
「もしもし、警察ですか」
 私は告白し、その肩の荷を下ろす。区切りを考えることなく、やるべきことをやるってなんと素晴らしい。
 私はどこか大変に満足し、直後、私の生涯に区切りをつけた。
 それは1月7日、私にとってはなんの区切りもない日であった。

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