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0617_かたつむり

 もうなんだっていいのではないかと、ふと思うのだった。

 私がこうして手を繋いでいるこの子は、私の子ではない。私の友人の兄の子。血も涙も繋がっていない。笑った目元が時々······似てない。段々声もお母さんに······似ない。そんなことは知っているのだった。
 私は単なるベビーシッターだから、それはそうだ。そうでなければおかしなことになる。

「りっちゃん、かたつむりだよ」
「ホントだ!遥くん、よく見つけたね、こんなに大きなカタツムリ」

 私がそう言うと、嬉しそうにでも少し照れて笑ってくれた。毎日、保育園の送り迎えだけをしている。時々、少しだけ長く一緒にいたりすることもある。土日祝日は会わない、平日だけだなんて、まるで健全な不倫と一緒。

「かたつむりをずっと見てると目が回るのかなぁ」

 遥くんがじっとその殻を見つめて言う。私も一緒にそのばにしゃがみ込み、殻を見つめる。間違っても目は回らなかった。回らなかったけれど、色んなことが頭の中をぐるぐると回る。

「人の子供なんか見てないで自分の子供を持ちなさい。いい歳なんだから」

 先週、久々に実家に帰っていつものセリフを言われたことを思い出す。そらそうである。私は30も半ばで、友人の子供の送り迎えをしている同年代より、自分に子供がいる同年代の方が多かろう。そんなことは知っているのだ。知っているけれど、別に今、私は結婚しようとか自分の子供を作ろうだとか特に希望していない。考えたことがないわけではないが、考えた結果、今は特に希望しないということだ。それだけである。以上でも以下でもない。なんだっていい。

 その今の私は幸せだなぁと思っている。

「りっちゃん、背中向けて」

 遥くんが言い、私は彼に背を向けた。すると彼のまだ小さくて細いその指で私の背中をなぞった。ぐるぐるぐるぐる。

「はい、りっちゃんもかたつむりね」
「くすぐったいよ」
「僕にもぐるぐる描いて」

 少しずつ日が暮れて、雲が多くなってきた。明日は雨が降るのだろう。背を向けた遥くんの背中に私の人差し指で渦を描く。小さな背中には1周半しか描けなかった。くすぐったさを我慢しているのか、小さく背中をよぎりながらも、ふふふと笑う声が聞こえる。

 私はこれで今、十分に幸せなのだった。


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