鈍-nibi-③【連続短編小説】
※前回の「鈍-nibi-②」はこちらから
部屋の中、ブラインドの向こう、窓ガラスに一匹の大きな羽アリがいる。黒い胴体に赤茶色の薄く透けた羽、足の先は白っぽい。シロアリの一種だろうか。くりくりと頭を回して前足でそれをこするような仕草や、後ろ足をさするような仕草も見せている。歩き、時々止まっては何かを確かめるように触覚でガラスを叩いていたりもして、そこに生きている。
どこかから外に出られるだろうかとさまよっているのかもしれない。
僕は、さてどうしようかと思い、静かに席を立ってはティッシュを取り出した。窓を開けてさっと出て行ってくれれば良いけれど、逃げ道が出来たことよりも敵が現れたことにこのアリが反応してしまえば、外に出ずにこちらに飛んでくるかもしれない。
そうなったときには、ティッシュで包んで外に出してやろうと思う。
僕は無駄な殺生をしたくはないし、なにより、このアリの足の先の白さが割に綺麗だったのだ。
「あ」
僕が思いあぐねていると、スッと横から手が伸びてきた。シロアリの足にも負けない綺麗な白い腕。ブラインドの隙間から腕を差し込み、ティッシュでそいつをくるんだ。
「どこから入ったのかしら」
彼女は眉間に軽い皺を寄せ、困った顔をして見せた。気持ち悪い、とも言ったかもしれない。
そうして、ティッシュにくるまれたそいつを持つその人差し指と親指にぐっと力を込めた。
チッ、と聞こえる。
彼女の舌打ちではない。ティッシュの中から聞こえた、そいつがつぶれた音だろう。彼女はいつもそうしているようにして、ゴミ箱に捨てた。
なんと、僕は興奮したのだった。
僕は彼女のこういう感じが好き。アリがつぶされたというそんな暴力的な行為に興奮したのではなく、その行為を選ぶ彼女が好き。
彼女は、好きなものは好きで、好きじゃないものは嫌いなのだ。
そんなこと、きっとみんなそうだろうけれど、きっと彼女ほど徹底しているわけではないだろう。例えば、好きなものは好きだと言っても、その好きがいつかどこかのタイミングで変わったりもするだろう。彼女にはそれがない。そして好きじゃないものに関しては『好きじゃない』になるわけではなく『嫌い』になるのだ。
彼女の中にはこの世に『好き』と『嫌い』の2つしかない。だから、彼女はあのアリが『好き』ではなく『嫌い』だったから、ただ、なくしただけである。
無論、彼女も意識してそうしているわけではない。好きと嫌いで分けるとそうなるからそうしているだけだ。
彼女は、潔くて綺麗。
そして僕は綺麗なものが大好きである。
だからこの綺麗な彼女と半年後に結婚する。
「そうだ、今日の夕飯はキムチ鍋にしよっか」
彼女は心なしかすっきりとした顔で振り向いて言った。
「ああ、いいね。でもどうしてキムチ鍋なの」
僕が聞くと、今度はどこか照れるような顔で少しだけ嬉しそうに言う。
「この間、リオと食べたら美味しいって喜んでくれたから」
そう言って、市販のスープだけどと続けて笑った。
僕はますます興奮する。
「そっか、それは良かったね。うん、キムチ鍋にしよう」
彼女は笑った。
おそらく、彼女の妹である『リオ』を思い出しているのだろう。その笑顔はたまらなく綺麗。
けれどなにより綺麗なのは、彼女と妹の姉妹愛。実に美しい。そしてその綺麗を形作ることに僕は協力している。
妹の彼女への強い愛情を一生つなぎ止めるために、僕は彼女の妹を抱く。
続 -鈍-nibi-④【連続短編小説】- 9月26日 12時 更新
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