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0509_あと少し

 あともう少しなのに。

 河津はそう思い、唇をぎゅっと結んだ。わずかに鉄の味がする。
 あともう少しで、頭の中のモヤが晴れそうに思うのだった。何がきっかけなわけでもない。何がそう思わせるのかも分からない。ただ、最近ずっとモヤがかかっている。それは頭の中だったり、心の中だったり、時には視界も。
 原因がわからないのに、それでもモヤが晴れそうだと思うのには理由があった。河津は学生時代にもこんなふうに気づくとモヤの中を歩いていることが度々あった。そしてその都度、理由も解決策もわからないままで日々が過ぎ、また気づけばモヤがカラッと晴れている。そんなことが何度かあり、何度目かのモヤのときには『ああ、またこのフェーズに入ったのか』と妙に納得しては落ち着いて、むしろ心静かに過ごすのだった。

 今年はもう25歳になり、社会人も3年目を迎える。モヤがあるからなどと言っても、仕事は待ってくれないのだった。

「河津さん、大丈夫ですか」

 声を掛けたのは木内だった。15も年上の隣の部署の先輩である。

「あ、はい。なんともないです。どうしましたか」

 河津は、モヤが入った時にいつもそうするようにして平静を装った。ついでに装っていないつもりも装った。 木内は少し驚いた顔を見せるが、すぐに柔らかく笑ってみせた。

「気分が落ち込んでいますか」
「え、ああ、時々あるので大丈夫です」

 河津が笑って返すと木内は笑わなかった。

「時々あるから、それが大丈夫なわけではないですよ」

 そう言って、恐らくはたった今、自分の為に買ったのだろう紙袋を差し出した。

「さあ、どうぞ」
「いや、そんな、もらえないですよ」
「並んで買ったのです、遠慮しないで」
「余計もらえないですよ」
「じゃあ、一緒に食べましょう」

 そう言うなり、踵を返し、河津の上司に何やら声をかけて戻ってきた。河津は釣られて会釈する。

「さて、行きましょうか」

 言われるままについていき、2人で公園でカフェラテとドーナツを頬張ったら、なんだかモヤ無くなった。

「あと少しっていうのは、無くなったわけではないので、あと少しでもないんですよ」

 とか、分かったようなことを木内が言うが、夕日に照らされた彼のメガネはモヤがかっている。

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