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依存症家族にできる(かも)しれないこと

久しぶりですが、今日は何のひねりも工夫もなく、思ったことを書くだけです。

数ヶ月前、とあるセミナーで、
「アディクションはリカバリーのはじまり」ということをききました。

生きるつらさ
うまくいかないやるせなさ
人とここちよくつながれなかった苦しさ
運が味方しなかった憤り

そんな思いから離れるために、やむにやまれず嗜癖の状況に。。。

つまりアルコールに頼る事は、
「自分の苦しさを開放しよう」
とした証しであるわけです。

苦しさを開放した先にはきっと、
人とちょうどよくつながり、
自分の力を社会にも発揮しながら、
健やかに暮らす…
に再度取り組もう…と思っていたりするのかな…
など考えていました。

そう、アディクションは回復のはじまり。

頭ではわかるのですが、身近に暮らす家族として、その激しい顛末をどんな顔で見ていればよいのか、時に混乱します。
私に根気がないだけかもしれない。

身近にいると、彼の回復を邪魔する事はあれど、力になれる事はほとんどないなと思い知らされます。

途方にくれながら町を見渡すと
依存症に向けられるのは
「ダメ!絶対!」
というメッセージ。

依存症者が助けを求めようと思った時、
「ダメ!絶対!」
が、恥の感情をくすぐり、その口を封じ、伸ばした手を引きかねないなと怖くなります。

依存症者が「だめ絶対!」とか言われない社会の雰囲気作りに1ミクロンでも貢献すべく、言葉や行動を選んで過ごし、まわりまわってだんなさんにも、優しい風が吹くとええなぁ~と、思いまし駄…という話。

一方でこんなささやかな思いすら、無力を認めきれない盛大なる思いあがりかな…とよぎったりもするわけで。

ではまた。

おまけ
みなさんご存知かと思いますが、
松本俊彦先生の記事をご紹介。
「ダメ!絶対!」の怖さは松本先生に教わりました。
知った時は相当はっとしたよ。


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