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謝られても困るかも

こんにちは。 
noteのこちらの記事を拝見し、少し考えたことがあるのでシェアします。
気づきをありがとうございます!

そう…。
タイトルの通りなんですが、依存症家族のアンとしては、謝られてもね…
と思います。

私はやろうと思えば依存症者、つまりだんなさんから離れる事、
家族であることを手放す事ができるわけで。

つまり、好きこのんでこの暮らしをしているのです。
結婚当初はわからなかった、でもだんなさんの依存症を知り、
もう数年は経過してますので、
自分で好きこのんでここにいるのだなと実感しています。

だとしたら、謝られるのは筋がちがう。

ある程度の事は想定内なわけです。
(想定はできても、うまく暮せているわけではありません…)

謝ることの意図はくみとりきれませんが、
許す許さないのステージにもいないわけで、
ごめんなさいと言われたとしても、どう受け止め、
理解したらよいのかわからない。

だんなさんがアルコールにのみ込まれた中で行う行動や発する言葉も、
結構やんごとないわけですが、
それに怒りで返したりもしていないけど、
何を言われたとしても消えもしない。

ありがとうのほうが、ピンとくる。
私が好き勝手に行っていることに、感謝の気持ちを寄せてもらえることは、私のこと、存在を見てもらえているのだなと感じられます。

時々、だんなさんには私が透明に見えているのかな?
(つうか見えていない)
と思うことが、しばしばあります。
いてもいなくても変わらない、
話していても、私に語りかけているのではなく、
儀式として声を発する行動をしているだけみたいな。

上記の記事を拝見し、
関係がもう壊れているのかな・・・とドキリともしています。

今日は「だから何?」という感じではありますが、
家族の記録の一部としてつづってみました。
ではまた。






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