針に糸を

広汎性発達障害。自閉スペクトラム症やASDとも呼ばれます。これは発達障害の一種で、社会性の困難やコミュニケーションの困難、こだわりの強さといった特性を持ち、そのほか感覚過敏や感覚鈍麻、運動機能の低さ等の特徴もあります。睡眠に障害がある場合も多く、二次障害として抑うつやパニック障害等を発症することも多くあります。

21歳になった数日後、広汎性発達障害と診断されました。自分が発達障害だなんて考えたこともなかったので驚きはありました。でもそれ以上の感情はなく、むしろ納得できました。過去を振り返り自分を顧みた時、当てはまるものはたくさんありました。

私は演劇が好きです。観るのも演るのも創るのも、演劇に関わることすべてが好きです。オーディションを受け現場に行き観劇をし、とにかく手と足を動かして人脈を広げて名前を広めてなんとか頑張れています。

なぜか。好きだからです。それ以上でもそれ以下でもないです。幼少より芸能界には関わっており、事務所に所属したり児童劇団に所属したりしてきました。そこで学んだことはなにより芸能界での立ち居振る舞いだったように思います。

ASDの人というのは、空気が読めなかったり冗談が通じなかったり暗黙の了解がわからなかったりすることが多く、私も例外ではありません。ただし、マニュアルがあればそのようなことを防げる場合があります。つまり、どうしていいかわからなかったり言葉には裏があることを知らなかったり人は嘘をつかないと信じてやまなかったり、根本的に何かを「知らない」のです。

私が児童劇団時代に学んだことはまさに芸能界で生きていくためのマニュアルでした。挨拶、礼儀、心構え、向き合い方、プロ意識。これらは私の中に「芸能界の生き方」として備わるようになりました。

しかしながら、ASDの人の多くは臨機応変が苦手です。急な予定変更等に加えて、何かを別のことに応用することも苦手なように思います。社会で上手く生きていくために、急な変更を見据える努力や保有するマニュアルの数を増やす努力が必要になります。

私はその芸能界の生き方を他の世界に適応することはなぜかできません。朝から現場に入れても朝から学校へは行けません。現場では人と話せても日常では人と上手く話せません。稽古場では人の目を見る努力ができても普段は人と目を合わせることができません。それはきっと、私の中ではあくまで芸能界での立ち居振る舞いであるからです。他への適応の仕方がわからないし、頭で考えて動いているわけではなく無意識に動いたとき結果としてそうなってしまうのです。

「好きなこと」と「できること」のベン図を頭の中に描いてみてください。中心の被っている部分には何が入りますか?またその部分の面積はどれくらいありますか?私はほんのわずかにしか被りません。まず好きなこともできることも私にはほんのわずかしかありません。普通の人の好きなことやできることが円ならば私のそれはきっと点です。私にとって好きでかつできることを見つけるのは針に糸を通すような作業です。できることが他の人に比べて少ない上、好きなことでないとできません。好きなことかつできることに対してASD特有の強いこだわりが作用し、執着が生まれ、やがて成長を生むからです。ASDの強いこだわりは悪い意味での特性とされますが、良い部分でもあります。こだわりたいことはとことんこだわり抜くことができる才能でもあるのです。しかしその条件は極めて厳しく、それが仕事になることは少ないです。

ある人が言いました。「私は考えすぎる性格で人からどう見られているかが気になり一歩踏み出すことができない。楽しそうに生き生きと演劇の世界を駆け回るあなたが羨ましい。私には何もない。やらなければいけないことしかできない」と。
私は言いました。「私にとって演劇は普段の日常ではできないことができる場所。普段人と上手く話せない私は舞台の上では流暢に話せるし、普段できない自己表現を舞台ではできる。好きなことについてなら迷惑なくらい多くを語ることのできるASDには、演劇が好きな人間しかいない世界はぴったりだ。それに私が演劇の世界を駆け回ることができるのははるか昔に培ったマニュアルがあるからで、普通の人ができることは私にはできない。やらなければいけないこともやりたくなければ身体すら動かない」と。

舞台役者を職業として食べていける人間は現状の制度ではほとんどいません。稽古期間に給料が発生せず、需要がないからです。だからこそ演劇が好きで芝居がしたい人間だけがそこにはいます。人が集まれば舞台の話ばかりしている人間がたくさんいます。私にはぴったりの場所です。

その人が言うように、私には演劇があります。針に糸を通すような作業がようやく成就した先が演劇なんだと今は思っています。他の人が持っているものを私は持っていないかもしれません。電車に乗れないこともあるしサングラスで光から目を守ることも耳栓で音から耳を守ることもあるしフラッシュバックが起きることもパニックを起こすこともあります。合理的配慮も受けているし通院や投薬も行っています。学校にも行けないしやらなければいけないこともなかなかできません。それでも、演劇はできています。

私にとっての演劇が見当たらない人が世の中にはたくさんいて私よりもできることが多いはずなのに何も持っていないと苦しんでいる人がいます。苦しむべき私は演劇の世界を駆け回っています。やりたくなくてもやらなければならないからできる人は自信を持っていいと思います。少なくとも私よりもたくさんのものを持っているし、やりたいことを見つけるまでの猶予もたくさん持っているからです。やりたいことしかできない人も自分を誇っていいと思います。たくさんのことの中からやりたいことを見つけられるのは強運の持ち主で幸せ者だからです。

私は普通の人に比べてできないことが多いけれど、私には演劇というかけがえのないものがあります。ASDである私にぴったりな場所があります。もちろんその場所が自分にとって居心地の良い場所になるには訓練や学習が必要です。周囲の支援なしにはやっていけないのが発達障害だと思います。

自分を理解して前に進む。これほど今の私にとって難しいことはありません。幼少から優等生とされ親の期待に応えてきた自分が発達障害であるということを完全に受け入れることは、今の私にはできません。栄光のように眩しい過去の他人からの期待は、今の私を嘲笑います。昔はできたはずのことが今はできません。できないことがたくさん増えました。それに気がついていながらそのままにしておいた結果、21歳での診断に至りました。どんな自分でも受け入れるような度量は私にはありませんでした。もとより素直で信じやすいので、他人からの期待は自分自身からの期待へと変わってしまいます。他人を裏切り自分を裏切ることは決して楽しいことではありません。

しかし、診断名がついてからはそれを「しょうがない」と思えるようになることが増えました。もちろん常に思えるわけではないからこそ自分を受け入れきれないのですが、それでも自分にはできないこともあると知ることは私には必要なことでした。

私は何もできない自分を愛するために、唯一できることをしています。それがたまたま演劇でした。違う人生だったなら、それは演劇でなかったかもしれません。針に通った糸が演劇だっただけで、そこに理由などありません。ただ好きとできるが重なった奇跡を目撃したというだけです。

今回の執筆にあたっては勇気が要りました。その後どのように見られるか不安はあります。しかし私のような人間を羨ましいと言う人間がいるのなら、私は私のままでいいのかもしれません。私の生き様や言葉が誰かの背中を押すのであればそれはそれで良いのかもしれません。そんな思いでペンを走らせました。

やっと見つけた演劇という人生を手放す気は今のところありません。頭の中のマニュアルを手に強いこだわりを発揮しながらこれからも駆け回ろうと思います。

これにて。2024年3月1日。

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