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なぜ私達はグレなかったのか

思考整理のための記録です。

数日前、日課の朝家出中に
顔面を殴られたかのような衝撃的な腹落ちがありました。

今日はその後の考察を書いてみようと思います。

私は出会って3年、一緒に暮らし始めて2年半の継子(10歳)との関係にずっと悩んできました。幼くしてお母さんを脳腫瘍で亡くした彼女(と彼女の妹)。母親を亡くすという人生に起こるであろうおそらく最も苦しく悲しい出来事をこんなにも早く経験しなければいけなかった彼女たちに、私は出会った初期からずっと”大人としてできる最大のサポートをしたい” ”たくさんの愛情を感じて育って欲しい” と思っていました。

主人からはお付き合いをする前からこの事実を聞かされていて、どんな状況においても子どもたちを最優先にするという彼の姿勢を私はとても尊敬していました。だからこそ彼女たちをすんなりと受け入れられないことに対する罪悪感や自分への苛立ちはとっても大きかった。

まずは小さな子供と暮らすという経験がなかった私にとって、
彼女たちがもっともっと小さかった頃に時間を共有することが出来なかった私にとって、お互いの存在を尊重しながら、要は気を使い合いながら一緒に暮らすことの出来ない人たちとの共同生活は想像以上に苦痛でしかなかった。やったらぜーーーんぶやりっぱなし。わがままで自己主張ばかり激しく、父親への不平不満や癇癪は日常茶飯事。うるさい、汚い、わがまま…。

子育てをされている方はきっと
そんなの当たり前でしょ…って思うんだろうな

西洋文化に欠かせないスキンシップも長女は私に対してずっと拒んできました。肩を組んでも伝わってくる緊張感とこわばり。一度は泣いている彼女を慰めようとして突き飛ばされたこともあり、いつしか私から距離をおいてきた気がします。

子どもたちの成長は早く
日々日々彼女たちも変化していく中でどっちかが良いときは他方が荒れるの繰り返し。最近ではどちらも違うタイプの反抗期に突入しているかのようで子どもたちの親への(特に主人への)当たりの強さに途方にくれていました。こんなに酷い!と誰かに打ち明けたところで、何かが変わることもなく
自分の心の持ちようだと言い聞かせて。

ある日気づいたことがあります
次女にイライラするのは私とは全く違うタイプでワケがわからないから。
甘え上手で容姿も可愛いし天真爛漫、すぐに泣いて大人の気を引こうとする。対象的に長女にイライラするのは、私は彼女がこう思っているであろう…とかあの表情の裏にはこんな感情があるんだな…とかきっとこんな風に言い返してくるだろうという予測をすでにしていて、私はその予測のもとに怒りを感じているから。私はだいぶ以前から彼女が自分に似ていることを自覚していたのだと思います。だから思考パターンや反応する事柄を勝手にイメージして腹を立ててきた。

彼女を受け入れられない=私が過去の私を受け入れられていない
この事実に向き合えるまでに私は数ヶ月かかりました
気づいていたけれど見ないふりをしていた数ヶ月前の私と今の私、何が変わったのか正直わかりません。



競馬や麻雀で借金をたくさん作って、挙句の果に浮気をして家を出ていった父とは対象的に、母は私達を育てるために寝る間も惜しみ働いて勉強して40歳を過ぎて司法書士として独立開業しました。
料理や裁縫、私達姉妹の周りには母の手作りが溢れていたし、やりたいことは何でも挑戦させてくれた。私は自分の母について話す時、まるでヒーローかのようにどんなに素晴らしい事を母が私達のためにしてくれたかを語ってきました。
そうして私は自分にかけてもらった愛情を確かめてきたんだ。

おそらくきっと、私は母から見るとると小憎たらしくて可愛げのない、そんな子供だったんじゃないかな…と思います。今のArianaのように。最近になってふとした会話の中で母に「〇〇には子供の頃あまり優しくしてあげられなかったよね…ごめんね」と言われました…反抗期も無く、ずっと母と仲良くやってきたと思っていた私には寝耳に水。そして今、あの時はピンとこなかったけれど小さい頃の私はちゃんと感じ取っていたんだな...と思うのです。
母も私に優しく出来ない、思い切り愛することが出来ない葛藤を抱えていた。あの頃の私はそれを感じていて、でも感じないように心の奥に奥にギューッと押し込んできた。

幼い私は本当は感じていた寂しさや悲しさや不安から逃れるために
ずっとずっとこの武勇伝に支えられてきた
だってこれが母が私にしてきてくれた愛の証だから

もちろん母が一生懸命に私達姉妹を育ててくれた事実は真実
私はそれをストーリーに仕立てて立派に装丁して大事に抱えてきた。そうしなければ母の愛を確信できなかったから

尊敬する人は誰ですか?
母です 母は私たちのためにこんなにしてくれたんです
こうやって答えられることがとても幸せです

もうかっこつけなくていいよ

ただ一つ確かなことがあって
何をしているときでも母はとっても楽しそうでした。
とっても楽しそうに味噌を味噌タルに投げつけていたし、とっても楽しそうに一緒に泥団子を作ってくれたし、体操もバトミントンも 40歳を過ぎて下積みで入った松尾事務所でも仲間に囲まれてとっても仕事を楽しんでいた
思い出すと自然と涙がでてくる……
母は何でも 全力で楽しんでる人だったんだ
苦しい苦しいシンママ期にいても

もしかしたらこれも私の思い違いかも知れない
人の脳は本当に苦しいことをきちんと忘れさせてくれる
絶対に見たくなかった母の涙や、悲しい顔は私の脳がきちっと処理してくれたのかも知れない

私と妹は大人になって良くこんな会話をする
「私達あんな複雑な家庭環境の中でで育ってよくグレなかったよね...」

きっとこれが答え
私達はいつも全力で暮らしている、楽しんでいるお母さんを見てたからだね
やっぱりお母さんは世界一尊敬する人

そして今日私は自分の中に確かな変化を感じられました
以前より子供達に罪悪感を感じてない
等身大の私が私の人生を生きること
母が”私のために”色々なことをしていたわけではなくて(もちろんその一面もあるけれど)思いっきり生きていてくれたから
私達はその背中にとっても救われたから

わたしもやっと
そのままで大丈夫
私は私で大丈夫って
思い切りやってこう! 好きなこと楽しいこと
自分に本当の意味で許可を出せたような気がします。

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