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ビジネススクール時代に出会った外国人たち

 私の勤めていたビジネススクールでは、前の校長が日本語コースを作っていたので、日本語を習いに来ている外国人が何人もいた。全員欧米人だった。
 校長が辞めてから日本語コースは廃止され、後任の英語部門の責任者が英会話コースを作ったので、今度は英会話を教える先生たちが出入りするようになった。

 彼らとは休憩時間にお喋りをすることがよくあったが、何人かとは親しくなって、飲みに行ったりすることもあった。

 アメリカ人のエイドリアンとは帰りに駅のホームで一緒になったことがある。
 電車を待つ間ちょっと喋ったときに、私の拙い英語を直してくれた。
 エイドリアンはアメリカに帰ってから手紙をくれた。
 この間、友人たちから昔もらった手紙を整理していたら、エイドリアンからの手紙があって、スクールで一緒に撮った写真が同封されていた。

 彼が日本語クラスの生徒だったのか英会話の先生だったのか覚えていなかったが、もらった写真では私がTシャツを着ているので、パートのインストラクターだった頃だとわかる。
 それなら、エイドリアンは日本語クラスの生徒だったことになる。
 私は正社員になってからはパソコン部門の責任者だったから、立場上もっときちんとした格好をしていた。ブラウススーツとか、シルクのスーツにハイヒールで街を闊歩していた。
 ヘアスタイルも写真ではソバージュにしているが、正社員時代はストレートのオカッパだった。

 アメリカ人のトッドは英会話の先生だった。
 彼は高校生のときに日本に来て、インターナショナルスクールに通っていたそうだが、日本語がペラペラで、私は日本語で話していた。
 トッドという名前が発音しにくいので、トドと呼んでいたが、本人もこのマヌケな名前が気に入っていた。

 トドとは私が自営業を始めてからも付き合いが続き、私が友人たちとお花見をしたときや、クリスマスパーティーやバーベキューをしたときなど、声を掛けるといつも来てくれた。
 仕事のことでも相談に乗ってもらった。

 中古のWindowsパソコンを買おうと思って相談し、ノートパソコンはマウスがないから嫌だと言うと、使っていないマウスがあるからくれると言った。
 結局iMacを買ったのでその必要はなくなったが、新品のiMacはトドに羨ましがられた。

 電子メール初心者の私に、メールはフリーメールがいいと言って、自分の@gol.comのアドレスを教えてくれたので、私もトドのメールアカウントを参考にして、@gol.comのアカウントを取得した。

 彼は翻訳業で生計を立てていたので、ケイコさんに紹介した。
 ケイコさんの会社が都内にあった頃は翻訳の仕事もしていたから。

 トドには九段坂病院に入院することになったときに連絡しなかったから、私が入院したことは知らなかったはずだ。
 退院してからも大変だったので連絡しなかった。
 頼りになる友人だったが、自分から電話してくることはなかったので、それまでになってしまった。
 今年の1月にケイコさんと丸ビルで食事したとき、トドには連絡しているかと聞いてみたら、ケイコさんの会社がもう翻訳の仕事をしていないので、彼が今どうしているかわからないということだった。

 ビジネススクールには、英語部門の責任者の留学時代からの友人で、日本語ができるアメリカ人も出入りしていた。
 彼は生徒でも先生でもなかった。
 本名がエドワードなので、私はエドリンとあだ名を付けて呼んでいた。
 彼もこのあだ名が気に入っていたらしい。

 一度、道でバッタリ出会ったことがあり、私が
「あ〜ら、エドリンじゃな〜い」
 と言うと、彼も
「アンヌさんじゃな〜い」
 と言った。
 2人で思わず笑ってしまった。

 カナダ人のデイビッドは恋人と一緒にワーキングホリデーで日本に来ていて、英会話の先生をしていた。
 帰りにクラスの生徒たちと一緒に飲みに行ったことがあり、デイビッドの友達のロビンも一緒に行った。

 ロビンはミュージシャンで、ギグのときにデイビッドやエイドリアンと見に行ったことがある。
 どこだったか場所は忘れたが、あのときは私の従妹も一緒に行った。
 エイドリアンが私に踊ろうと言ったが、私は踊れないので断った。
 悪いことをしたが、踊るのが恥ずかしかった。

 ロビンとはいろいろあった。私はミュージシャンに弱い。
 学生時代に付き合っていた人もミュージシャンだった。
 と言っても彼はまだ音楽学校の生徒で、作曲の勉強をしていたが、アルバイトで夜のバンド活動をしていた。
 楽器はベースで、キャロルで売り出す前の矢沢永吉と一緒にやっていたそうだ。
 矢沢永吉がキャロルを結成するときに誘われたが、自分はバンド活動を生業にする気はないので断ったと言っていた。
 彼とは親に内緒で一緒に旅行したり、夜中に家を抜け出して車で会いに行ったりしていたが、1年足らずで別れてしまった。

 余計なことを書いてしまったが、ロビンのことはそのうち気が向いたら書くことにする。

 日常的に外国人と会話する機会はあったが、私の英会話能力は中級レベルだったので、もっとレベルアップしたいと思い、勤めているスクールとは別の英会話スクールに通ってもいた。
 退院後バイトをしていたプロバイダーには外国人がいて、彼女は日本語が話せたが、私とは英語で喋っていた。
 ときどき帰りに車で送ってもらったが、今の会社に勤めるようになってからは英語を話す機会がなくなった。
 あの頃覚えた表現などはだいぶ忘れてしまった。
 最近ではYouTubeの英語の動画を見たり、英語のコメントを読んだりしているが、あの頃のように話すことができるかどうか……多分できないような気がする。

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