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開けてみなけりゃわからない(頚椎腫瘍 30)

 上野のオババが個室に移って何日かたってから、年の暮れだし新しい患者は年内には入ってこないかも、などとみんなで話していたところへ新しい患者が入室した。
 Sさんといって、錦糸町のおばあちゃんより少し若い小柄な老婦人。ヘルパーさんが付き添って、車椅子で運ばれてきた。

 Sさんは20年(10年だったかも)ほど前に脊椎の手術をして背骨を補強する板を入れたのだが、年をとって肉付きが変わってきた関係で、その板が飛び出して皮膚を破り、そこが化膿しているという。怖い話だ。

 私は首の骨をつないでいるワイヤーを、何年かしたら取ってしまってもいいと言われていたが、取るにはまた手術して首を切らなくてはならないから、そのまま入れておくつもりだった。
 けれどもSさんの話を聞いたら、そのうちワイヤーが古くなって、外れて首から飛び出すおそれがあるのでは? と不安になった。

 N先生に聞いたら、首の骨と外側の皮膚との間には距離があるから、たとえワイヤーが外れたとしても、首の外に飛び出すほどの長さはないから大丈夫と言われた。
 でもなぁ~、問題はそういうことじゃないんだけど。
 ワイヤーが外れて肉を破って外に飛び出そうとしたら、たとえ皮膚まで届かなくても痛いんじゃないの?

 腰にチタンの板を6枚も入れている国分寺のお姉様にとって、Sさんの話はひとごとではない。
 国分寺のお姉様は手術したところがいつまでもうずいて痛むと言う。
 同じところを3回切っているので、魚を3枚におろしたのと同じで、肉のくっつきが悪いのだと自分では考えている。
 しびれもあり、30分歩くと足の裏がカーッと熱くなる。

 回診に来る先生に「なぜ」と聞いても、どの先生もはっきりした答えをくれない。
「開けてみなけりゃわからないって言うけど、じゃあ、開けたらわかるの?」
 国分寺のお姉様は憂鬱な日々を過ごしている。

 私もふだんは忘れているが、最初にみつかったのが腰椎にできた小さな腫瘍で、これもいずれ大きくなったら取ることになっている。
 入院前に、
「首のと一緒に取ろうか」
 と中井先生に聞かれたので、入院が長引くのは困るから今回はいいと断った。

「じゃあ、また今度の楽しみにとっておくか」
 先生はそんなふうに冗談めかして言われたが、5、6年後には手術しなくてはならないだろう。

 国分寺のお姉様によると、背骨は下の方を手術すると上が揺らいでくるので、また上の方を手術するはめになり、そこを手術すると何年後かにはさらにその上が揺らいでくるのだそうだ。
 私のは狭搾症やすべり症といった骨の病気ではなく、腫瘍を取り除くのだから、骨をチタンで固定する必要はないだろうが、場合によっては(首のように骨を切るようなことになれば)骨を補強するかもしれない。
 だから、Sさんや国分寺のお姉様の症状はひとごとではなかった。

 国分寺のお姉様は年内に退院するか、年明けまで病院にいるか、決めかねていた。
 私は28日(火)に退院したいと思っていた。
 錦糸町のおばあちゃんは家族と相談して、26日(日)に退院することに決めていた。
 病院で新年を迎えることにした茅ヶ崎夫人と三崎口夫人は、お正月の三が日が過ぎてから退院するつもりで、家族の都合と擦り合わせていた。

 いよいよ今年も残り1週間というときになって、年末年始は病院に残ると言っていた国分寺のお姉様が突然退院を決めた。
 病院にいても治療しているわけではなく、自主的にリハビリしながら養生しているだけだと気が付いたのだ。
 私のようにリハビリ室に通うほどではなく、外歩きも1人でできるし、30分歩くのが限界といっても、杖もつかずに30分も歩ければ普通の生活に戻るには十分だ。
 国分寺のお姉様は、錦糸町のおばあちゃんと同じ26日に退院することになった。

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