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同じ病気の仲間たち(退院後 7)

 退院後ネットで知り合った人たちの中に、私同様、脳腫瘍のある人たちがいた。

●もえぎさん
 もえぎさんは神経線維腫症で、聴神経のそばの腫瘍をガンマーナイフで治療し、その後も激しい頭痛と耳鳴りの後遺症に悩まされていた。

 ガンマーナイフは腫瘍にピンポイントで放射線を当てるのだが、その間、頭が動かないように四角い木枠に頭を固定する。頭蓋骨に金属のネジで留めるそうだ。
 麻酔をしても痛くて痛くて、泣いてしまったともえぎさんは言う。

 何度かメールのやり取りをしていたが、症状が悪化して、しばらくネットやメールを休むと言ってきた。
 それっきり音沙汰がなく、メールしても返事が返ってこないので、連絡するのを諦めてしまった。

●ミミちゃん
 ミミちゃんは若い女性で、小さな脳腫瘍があった。確か、脳の前の方だったと思うが、聞いたのに場所を覚えていない。少なくとも、私の小脳より厄介な場所だった。

 ミミちゃんとはメールのやり取りだけではなく、実際に会ってランチしたこともある。
 可愛い人で、結婚を約束した人がいるが、先方の親御さんから脳腫瘍があることを理由に、結婚を反対されていると言っていた。
 そういう話を聞くと胸が痛む。
 脳腫瘍があって辛いから、なおさら心の支えが必要なのに。

 偶然、ミミちゃんも臼井先生の患者で、先生の言うことが毎回変わるから不安になる、と言っていた。それは私も同感。

再び脳外科へ(自宅待機 11)」や「右目の奥の腫瘍について(退院後 1)」で書いたが、私も先生の言うことがコロコロ変わるから、その度に気を揉まされていた。

 先生は自分では違うことを言っているつもりはないらしいが、患者は先生の口調や言葉の使い方によって、まだ大丈夫なのか、急いだ方がいいのかを推し量り、一喜一憂してしまう。
 ミミちゃんとはそんな話もできて意気投合していた。

 臼井先生が定年退職した頃から、ミミちゃんとの付き合いも徐々に疎遠になった。
 今はどうしているだろう?
 私は臼井先生の後任の原先生から、日赤のサイバーナイフセンターを紹介されてそちらに移ったが、ミミちゃんもサイバーナイフセンターに行っただろうか?
 今度、今の主治医の野村先生に会ったら聞いてみよう。

●Tさん
 Tさんは私と同じ多発性神経繊維種症で、「神経線維腫」や「神経鞘腫」や「髄膜腫」がたくさんできる病気だった。

 脳腫瘍を摘出したときの後遺症で片耳の聴覚を失い、もう片方も重度の難聴になってしまってほとんど聞こえないと言っていた。
 その上、右顔面麻痺もある。
 平衡感覚が悪いのでまっすぐに歩けない。
 手術の後遺症か、まだ3つも残っている脳腫瘍のせいかわからないが、左目は複視で、物が歪んで見えるとも言っていた。

 そのTさんが、「腫瘍、摘出せんと体の一部分になりますように」とメッセージをくれた。

「アンヌさんへ。
 僕は多発性の良性腫瘍で30個辺りからあんまり気にならへんようになって、今は40は楽に超えてると思います。
 体の一部にならへんかったのは摘出していますが、大多数(最近6年は全部)は一部に変身してるのでアンヌさんもそうなりますように!!
 と言っても油断はせず、医者に診てもらった方が良いと思いますよ。」

 ああ、そういう考え方があるのね。今までは取ることばかり考えていたけど、そんなふうに考えればいいんだ……。
 そう思うと、なんだか急に気が楽になった。Tさん、ありがとう。

 Tさんとは1度だけ会ったことがある。
 手元に残っている当時の記録がないのであやふやだが、良い先生が海外から帰国するので、1度診てもらうという話だった。
 関西在住のTさんは東京に来ることになり、診察の日程を教えてくれたので会いに行った。
 どこの病院だったか、それももう思い出せない。

 病院に着き、教えられた特別診察室に行くと、Tさんは部屋の中の狭い待機場所で椅子に座っていた。
 Tさんは耳が聞こえないので筆談で会話した。
 Tさんの持ってきた筆談用のボード……ではないのかもしれないが、何度も書いて消してを繰り返せるように、柔らかいゴムのような表面に透明なフィルムがぴったり貼られているもの……に文字を書いて渡す。
 Tさんが読んでから上の透明なフィルムをはがして文字を消し、またフィルムをかぶせて文字を書いて私にボードを渡してくれるので、今度は私が読んで消して書く。

 そんなやり取りを数回して、私は手土産にデパ地下で買っていったチョコレートの小さな箱を渡した。
 Tさんはすぐに箱を開けてチョコレートをひと粒食べ、
「高級なチョコレートはおいしいなぁ」
 と言って喜んだ。
 そんなに喜んでくれるなら、もっと大きい箱を買っていけば良かった。私は形ばかりの手土産に、小さな箱を買っていったのだった。

 その後何年もTさんに連絡しなかったが、2012年に小脳の左上にも小さな腫瘍が見つかってサイバーナイフを掛けることになったとき、しばらくぶりにTさんにメールで知らせた。
 Tさんの脳腫瘍にもサイバーナイフが良いのではないかと思ったから。

 すぐにTさんから返事があり、サイバーナイフは知っているが、放射線治療は12年前(2000年)にガンマーナイフを掛けただけ、と書いていた。
 その頃はまだサイバーナイフ設備のある病院はそれほどなかったと思う。
 私が治療した2012年時点で、全国で22カ所ということだった。

 私はサイバーナイフを掛けた後でもう1度Tさんにメールして、どんな具合だったか報告した。
 Tさんは、自分の脳腫瘍は小さく、2年続けて変化がないので、今のところは治療しなくてもいいと言われているが、もし治療が必要になったときはサイバーナイフを考える、と返事をくれた。

 それからまたしばらくTさんに連絡しなかった。
 いつだったか、ふと思い出して、どうしているかなとメールしてみたら、メールが宛先不明で戻ってきた。
 Tさんはインターネットができないほど状態が悪くなって(契約解除して)しまったのか、それともメールアドレスを変えただけなのか、とにかくそれっきり連絡することはできなかった。


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