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上野のオババ(頚椎腫瘍 20)

 Sさんが退院したあと、隣のベッドに入ってきたのは上野のオババ。70代で、車椅子の夫を施設に預け、下半身不随の老犬を動物病院に預けての入院だという。
 姑を介護して送り、夫の姉を介護して送り、その後、夫と老犬の介護に明け暮れているうちに、首が斜め下に傾いて、頭を上に起こせなくなってしまった。顔がまっすぐ前を向かずに、常に下を向いている状態。
 それで、首の手術を受けることにしたのだそうだ。

 上野のオババは入院してベッドに横になるが早いか、もういびきをかき始めた。夕食時に起こされても、食べながら船を漕いでいた(とは、茅ヶ崎夫人の弁。私は首が回せないので見えなかった)。

 この病室の患者は、錦糸町のおばあちゃん以外は全員いびきをかくので、夜はだいぶにぎやかなことになっていた。
 私は鼻も悪くないし、今までいびきをかくと言われたこともなかったが、入院中は体調が悪いせいかいびきをかいていたらしい。
 だから人のことは言えないが、茅ヶ崎夫人のいびきは往復いびきで、音もすごかった。
 上野のオババのいびきは茅ヶ崎夫人に次いで大きかった。

 入院した翌日も、上野のオババは横になればいびきをかいて眠っていた。まるで1年分の疲れがどっと出たかのようだった。
 その後、やっと疲れが取れたのか、手術の予定も決まっていないので、やり残した仕事を片付けかたがた、持って来そびれた荷物を取りに一時帰宅。2日ほどして、荷物をたくさん持って戻ってきた。

 その荷物を片付けるのに、上野のオババはいつまでもガサガサ大きな音をたてていた。
 スーパーなどのポリ袋や紙袋に入れた物を出して、また別の袋に入れているらしいが、夕食後から始めて、消灯時間の9時になってもまだやっている。
 おまけに床頭台の引き出しやロッカーの戸を、ガラガラピシャリと音をたてて幾度となく開け閉めする。

 病院の規則では、消灯の9時から10時まではベッドランプをつけていてもいいことになっていて、テレビを見て起きている人もいる。
 それぞれベッドの周りにカーテンを引いてしまうし、私はそんなこともあろうかとアイマスクを用意してきたので、昼間でも明かりに邪魔されずに眠れたが、物音や話し声は邪魔になった。

 消灯時間が過ぎて静かになると、ほんのちょっとの音でも大きく聞こえる。いつまでも鳴り止まない袋の音とロッカーや引き出しの音は耳障りだった。
 私は上野のオババに、消灯時間を過ぎたら明かりはつけていてもいいが、物音は控えてもらいたいと注意した。

 実に、上野のオババは「片付けられない女」だ。
 手術までの毎日を、朝から晩まで荷物の整理に明け暮れていたが、一向に片付く気配がない。
 仕分けして袋に入れた衣類を出しては仕分けし直しているらしい。袋から出した衣類をまた別の袋に入れて、翌日また出して分けて袋に入れ直す。

 後日、上野のオババが首の手術を終えて起きられないときのことだが、売店に注文した品物が届いたので、私が代わりに上野のオババのがま口から支払ってあげたことがある。
 支払いが済んでから、がま口を床頭台の引き出しにしまってあげようとしたら、引き出しの中はごちゃごちゃで、金庫の中にマジックインキやリップクリームが入っていた。

 しかも、自分で何をどこに入れたか把握していないから、息子さんが来たときに、
「マジックが引き出しの左の方にあるから」
 と言って探させた。
 可哀想な息子は母親に言われた通り、引き出しを開けて、そこにあるはずのないマジックインキを探していた。
 母親の方は、
「もっと真面目に探しなさい」
 などと澄ましている。
 何を探しているのか聞いた私が、それなら金庫の中に入っていると教えてあげた。

 話が前後したが、上野のオババは傍若無人だ。
 夜中にトイレに起きて歩行器で廊下に出ていくと、数メートル先のトイレのドアの下から明かりがもれているのが見えた。
 だれか入っているのだと思って、そのまま廊下で待っていたら、やがてドアが開いて上野のオババが出てきた。
「入るの? 電気、つけておく?」
 大きな声が夜中の廊下に響き渡った。

 昼間ならいいが、みんなが寝静まった深夜の病棟だ。
 廊下の片側には個室が並び、反対側にはトイレと物置きがあって、突き当たりは窓になっている。
 そんな時間に廊下に立っていたら、トイレに入るに決まっている。それ以外、どこへ行くと言うのだ? 
 明かりをつけておくかとたずねるくらいなら、黙ってつけておいてくれればいいものを。

 私が黙っていると、上野のオババがまた何か言いそうになったので、唇に指を当てて「しーっ」と言う真似をした。

 翌朝。
「上野さんに言いたいことがある」
「あら、なにかしら。恐いわね」
「ゆうべのことよ」
 私は夜中の廊下で大きな声で話さないように、寝ている人が目を覚ますだろうし、第一、トイレに入るから廊下で待っているのだから、「入るの?」などと聞く必要はないと言ってやった。
 ちょうど検温に来ていた看護師さんが、
「上野さんはまだ集団生活に慣れていないから」
 と執り成してくれたので、それ以上言わずに済んだ。さもなければ、もっと辛辣な言葉を投げていたかもしれない。

 上野のオババの傍若無人ぶりに頭に来てしまった人がもう1人いる。
 一時帰宅して戻ってきた上野のオババが、消灯時間を過ぎても延々と物音をたてていたことは書いた通りだが、上野のオババの床頭台が茅ヶ崎夫人のベッドの脇にあったので、寝ている頭の上でガタピシやられた茅ヶ崎夫人はおかんむりだった。

 また、上野のオババは手術当日も朝早くから荷物の整理を始め、朝食時になってもやめずにタオルを広げてほこりを振るったりしていた。
「ちょっと、食事なんだからやめてよ」
 茅ヶ崎夫人がそう言うと、上野のオババは自分のベッドの周りにカーテンを張り巡らせた。

 6人部屋は狭く、ベッドとベッドの間がくっついていて、昼間カーテンを引かれるとうっとおしい。特に窓から離れた私の場所は、カーテンと壁に挟まれて穴蔵のようになってしまう。
「わー、カーテン引かないで」
 今度は私が注文を出した。
「うっとおしいよねえ。朝ご飯のときぐらいやめたらいいのに」
 と、茅ヶ崎夫人。

 2人に言われても上野のオババはめげない。
「もうすぐ手術なんだから、やらせてもらうわ」
 そう言って、カーテンを引いたまま、中でいつまでもガサゴソ荷物をかき回していた。
 どうせ回復室には2、3日しかいないのだから、持っていくものはそう多くないはず。手術まではまだ時間もあるし、みんなが食べている間ぐらいおとなしくしていられないものか。

 上野のオババは看護師さんが迎えに来てもまだやっていたので、しばらく待っていた看護師さんも、しまいには口を出した。
「上野さん、もういいよ。全部持っていってあげるから、そのままにしておいて」
 看護師さんに何度もせかされて、上野のオババはしぶしぶ荷物から離れたのだった。

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