はじめまして、ヒナコです
はじめまして、ヒナコと申します。
現在26歳で地方都市で医療に従事しています。今は看護師免許を使って働いていますが、来月からは保健師免許を使って勤務する予定です。
新卒で病院に就職しましたが一年で退職し、約一年旅をし、今の職場に再就職しました。オリンピックを生で観たくて帰国したので、今の会社にも一年くらいしか在籍するつもりはありませんでしたが、まさかのコロナにより結局1年10か月働くこととなりました。
ここまで読んでくださった方、なんて根性のない情けない人間かと思ったことでしょう。私だって三年は一か所で働くことが当たり前だと思っていました。でも今は自分の生き方をネガティブに思う気持ちはほとんどありません。ここでないと言い切れないのが私の弱さでしょうね。
私はとても感情的な人間で、必要以上に敏感に物事を感じとることができます。いわゆるHSPです。自己分析によればHSS型HSP。人と同じ経験をしたとして、そこから得ることのできる情報が人より多いように自分では感じています。だからって仕事をころころ変えることを正当化するつもりはありません。ただ私はその時自分ができ得るベストを尽くし、やり切ったという気持ちがあるということ。決して嫌で投げ出すわけではないのです。
一生懸命に物事に取り組み、絶対に目標を達成する。学生時代は猪突猛進で、ほかの選択肢が一切見えないような状況を自ら作り出し、日々突き進んでいました。
県下一の偏差値の高校に入学し、幼い頃からの目標であった助産師資格を取得するために、大学では看護学部に入学しました。大学では、希望者でかつ成績優秀者のみが助産過程をとることができたので、私はそれこそ血眼で必死に勉強しました。初めての一人暮らし、新しい人々や環境。そして良い成績をとり続けなければというプレッシャーで私は少しづつ壊れていきました。一番の問題は自分が壊れていっているということに全く気が付いていなかったこと。
ある日動悸が止まず、体の調子がなんだかおかしかったので、提出課題をとりあえず置いておき、先に食事を作ることにしました。夕闇の中電気も点けず、利き手とは逆の手で包丁を握り、利き手を包丁で切りました。その後保健室の先生や母と話をする中で、助産過程を取らない選択肢があることに気が付きました。
保育園のころから、私は助産師になる!と思って生きてきた私にとって、そんな道があることに全く気が付いていなかったのです。
その翌年落ち込んでいる私に追い打ちをかけるかのように大きな出来事が起こります。大学の友達の自死です。いまだに何かできたのではないかと思うことがよくあります。
そのころから長いスパンで物事を考えることをやめるようになりました。もちろん一応大人ですから、今日明日のことが全く未知というわけではありません。目標や未来像をあまりに鮮明に描いてしまうと、後々自分を苦しめることになるような気がするのです。
そして新卒で働いていた病院で大きな学びがあり、現在や近い未来を豊かにする生き方を大切にしたいと思うようになりました。(病院での経験はまた書きたいと思います。)
結局何を書きたかったのかわからなくなりましたが、私が伝えたいことは、生き方って人それぞれで何通りもあるということ。社会が勝手に敷いたレールに乗らなくても乗ってもどちらも正しいということ。
息苦しさの中で生きることに嫌気がさすことだってたくさんあるけれど、もっと自由に幸福に生きていける世界が広がってほしいと切に思います。
ラップランドの夕日を添えて:)
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