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自己紹介

こんにちは。ななです。
今回は私の自己紹介をさせて頂きます。(少し長くなるかもしれません)
 
私は北海道で夫と二人の娘と住む主婦であり、刺繍作品を販売している刺繍作家でもあります。
趣味はハンドメイド、パンやお菓子作り、ガーデニングです。
 
子どものころは運動が好きで外遊びをすることが多く、また水泳やテニスを習っていました。
テニスは6歳のころから始め、テニススクールの大会では何度か優勝したりと順風満帆なテニス人生の始まりでしたが、10歳の時に目の怪我をし、その影響で網膜剥離という病気になり、その後は元のようにテニスが出来ず11歳の時にテニス人生に幕を閉じました。網膜剥離の治療は順調には進まず入院期間が長くなり、その時に出会った素敵な看護師さん。私もあの看護師さんのような看護師になって患者さんの心を支えたいと思うようになりました。しかし怪我の影響で視力が著しく低下し、治療が終了した後、特に学生時代は目の疲れやすさからと思われる原因不明の頭痛や嘔吐などの不調が時々あり、看護師になって夜勤などは難しいだろう…という気持ちもありました。(大人になりそのような症状はほとんど無くなりました。)
そんな不安もありながらあることをきっかけに作業療法士というリハビリの職業を知りました。そして職業見学へ行き、作業療法士は体と心、そして日常生活に戻れるようなリハビリをしていくという説明を聞き、私がやりたかった患者さんの心を支えたいということが出来るのではないかと思い作業療法士への道に進むことを決めました。そして作業療法士として9年勤め、たくさんのことを学ばさせて頂きました。患者様の病気や治療、生活や人生、たくさんのことを考えた9年間でした。
 
話は戻り、目の治療中のうち1年間は走ったり、重いものを持ったり、階段を上ったりすることは禁止されていました。運動が好きな私でしたが運動ができないなりにたくさん折り紙をしたり家にあったピアノを弾いたりとそれなりに楽しみを見つけながら過ごしていました。また同年手縫いでたくさんの鞄を作ったり、初めて編み物に挑戦して、決して上出来とは言えないけどマフラーを完成することが出来ました。振り返ってみるとこの時から私のハンドメイド人生は始まっていたのではないかと思います。
 
学生時代ハンドメイドから離れた時期はありましたが、編み物は続けており時々作った作品を家族や友人にプレゼントしていました。社会人になってからは忙しい時疲れた時は編み物をすることで発散にもなり、気付けば編み物は生活の中で重要な存在になっていました。6年前長女の妊娠中も子供の人形などを編んでいましたが、出産後はぱたりとハンドメイドをすることはなくなり、日々の生活に奮闘していました。
4年ほど前、まだ作業療法士として勤めていた頃に刺繍好きな患者様を担当させて頂き、いつもハンドメイドの話しに花をさかせていました。
もともと刺繍雑貨や洋服は好きであったため、患者様と話していると「やってみたい」という気持ちに火が付きました。
私はもともと何かにはまってしまうと没頭してしまうところがあり、長女を出産してからは気になることがあっても始めないということをあえて意識していました。仕事と家庭、日々の生活に奮闘していたため時間を忘れて刺繍をするということはありませんでしたが、久しぶりにした自分の好きなことが刺繍でした。
それと同時に「好きなハンドメイドを仕事にしたい。ハンドメイドで人を元気に出来ないだろうか…」など考えるようになっていきました。
そんなことを考えつつも「収入になる仕事ではないか…」「夢みたいな話だ…」とやらない理由を気付けば探し日々の時間は過ぎていきました。
そんな中、2年前に次女を妊娠したきっかけに、期間を決めてハンドメイド販売をすることを決めました。いざ始めてみるとたくさんの素敵なハンドメイド作家さんに出会い、また自分の作品を気に入って頂けるお客さまに出会い、ハンドメイド販売は出来るところまでやりたいと思うようになりました。
続けていくとイベント出店時やSNSでもたくさんの素敵な出会いがあり、今後も出会いを大切に活動を続けていきたいと思っております。
 
長文になってしまいましたがここまで読んで頂きありがとうございました。
 

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