理系 VS. 文系

人間にとって厄介な問題は2つある。「世界」と「人間」だ。

「世界」というのは、宇宙と言い換えてもいいが、要するに、人間が存在せざるを得ない環境それ自体人体も含む。「人間」というのは、文字通りの我々人間ただし人体は含まない

「世界」は、言ってしまえば、の物理現象。理系は、この物理現象を理解することで、そこから生じる害を避け、そこから得られる利益を活用することを目指す学問。

「人間」は(ここでも他でも何度も言ってるように)「知性現象」。文系は、この知性現象を理解することで、そこから生じる害を避け、そこから得られる利益を活用することを目指す学問。

理系は「わかりやすく役に立つ」ので、その「効能」を正しく理解されるが、文系は、副次的な効能である「それぞれの人生を豊かにする」の方が目立つので、「本来」の効能である「人間という知性現象を理解し手懐けるてなづける」は見逃されがちで、だから、「理系は役に立つが、文系は所詮ただの道楽」などと誤解されがち。

理系の究極は「自前で新しい宇宙を創造する」なので、地球人類に達成できるかどうかも怪しい(人間のような生命現象依存型知性現象せいめいげんしょういぞんがたちせいげんしょうには不可能というのが我々の説)。だから、理系こそが「夢物語」を追いかける「ただの道楽」と、言えば言える。

それにひきかえ、文系は、今現に当面している「人間という問題」への〔対処・対応〕に取り組んでいるのだから、より実務的で実践的でさえある。(因みに「人間という知性現象の振る舞いを制御しきれないという問題」に対する究極の答えは、ここでも他でも繰り返し言っている通り、「人類は、自らの文明・歴史を、自らが創造した人工人格生命現象非依存型知性現象に譲り渡したのちに、自発的絶滅によってこの世界から退場する」が「正解」で他はないのだが、今はそのハナシはしない)。

大方の予想や思い込みに反して、人間が理系をやっている限りは、文系は理系以上に重要な学問。ただし、〈人間が理系をやっている限りは〉という条件が消滅した時点人工人格への「譲位」が完了した時点で、文系は「ただの道楽」になる。


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