『必殺仕置人』:メモ/第22話「楽あれば苦あり親はなし」

監督:松本明

映像作品の世界のサイコパスな悪党で、未だに、このエピソードに登場する藤造ふじぞう(盗賊の親分)を超えるキャラクターに出会ったことがない。

(『仕置人』とは、ちょっと関係ないことを今から少し)

例えば、サイコパスな犯罪者として世界的に有名なキャラクターのジョーカーは、何度も映像化されているが、誰も全然、この藤三には及ばない。

ティム・バートン版のジョーカー(ジャック・ニコルソン)はかなりの高得点だが、しかし、やはり、藤三には全く及ばない。映画を見れば分かるが、このジョーカーは、単なる超ヤケクソ人間。フツウの人間としての幸せとか共感とかそういうものを全て「諦めて」(=事故の後遺症で強制的に奪われて)しまった男が、超人レベルのヤケクソを発揮して、人間としての悲しみや、自分がこんな人間であることに対する苦しみから、完全に自由になっている。変な喩えだが、産卵のために川を遡上する鮭と同じ。傍で見ている凄まじさほどには、当人は苦しんでいないことが分かる。しかし、藤三は、例えば、自分で自分の子供を斬り殺しておいて、その死んだ子供の土饅頭に柄杓で水をかけ、最後は顔を埋めて本気で号泣する。この種の「異様さ」は、このジョーカーにはない。どんなことに対してもあっけらかんとしている。その程度のサイコパスキャラ。そこが藤三に「及ばない」点。

『The Dark Knight』のジョーカーは、ヒトラーやスターリンや毛沢東のナリソコナイ(ついでに言ってしまえば、クリストファー・ノーランは、いつも人物造形が凡庸。日本で言えば「2時間サスペンスドラマ」レベル。苦手なんだろうね)。だから、世界中どこにでもいる、他より少しだけ頭が切れる程度のことで、大勢の他人を見下している「普通のサイコパス」。このジョーカーは、国家レベルのボスになるだけの器量や資金や巡り合わせがなかったので、「軍事作戦」や「戦争」ではなく、その辺の路上でガチャガチャしたこと(銀行強盗や爆破など)をやっている。そのせいで、市民は、返って、予測不能な被害を受ける。それで、なんとなく、ヒトラーやスターリンなどよりもたちが悪い(凶悪な)ように錯覚する。でもそれはちょうど、本職のヤクザよりも、路上のチンピラ集団のほうが、地元民にとっては「怖い」「厄介」なのと同じ構造。

『JOKER』のジョーカーは、ただの「売れなくてキレた芸人」。でも、一番、藤三に「近い」のはこのジョーカー。映画の最後に登場するのは、自分で自分を「持て余し」ているジョーカーだからだ。しかし、藤三レベルなのはその一瞬だけ。その一瞬を別にすれば、あとはずっと、凡人。それはそうで、この映画『JOKER』は、結果ジョーカーになってしまった名前忘れたの特異性を描いているのではなく、凡人が状況や環境のせいで「はみ出し/踏み外し」、結果的に、サイコパスなキャラに「成る」ことで、自身の人格の「安定」を得る物語なのだから。――そうそう、だから、『JOKER』はサイコパスの映画ではなく、社会問題や人間関係の映画なんだよね。(因み、だから、「サイコパスの人生相談」で岡田斗司夫が、あのジョーカーと同じ格好をしたり、あのジョーカーのフィギアを机の上に置いているのは、「サイコパス」の部分は微妙だけど、「人生相談」の部分はぴったりそのとおりということになる。)

結局、彼ら3人のジョーカーは、何が藤三に「及ばない」のか?

言ってしまえば、3人のジョーカーたちは、自分がジョーカーであることを「喜んで」いるし、うっかりしたら、自分がこのような人間であることに優越感さえもっている。しかし、藤三は、自分がこんな人間呪われた人間であることに、自覚時々があり、はっきり時々と苦しんでいる。

ジョーカーたちは、自分というものを制御できている。妙に自制が効いているのだ。「常に意識的」と言い換えてもいいかも知れない。ちゃんと目的があって、その目的のために計画を立て、きちんと実行するということができる。〔目的や計画や実行〕自体はイカれているかもしれないが、首尾一貫している部分が「正常」に見える。つまり、ジョーカーたちがやったことは、ヒトラーやスターリンや毛沢東がやったことと同じ。だから、誰でも、ジョーカーの側(ヒトラーやスターリンや毛沢東の側)に入り込めば、その〔考え方や行動や目的〕は、「なるほど確かにモットモだ」と思えてしまう可能性はある(ヒトラーやスターリンや毛沢東には国家規模の支持者がいたことを思い出せ)。しかし、藤造の側に入り込んでも、そこにあるのは、ただひたすらの混沌。念仏の鉄が、最後に、藤三の成仏を片合掌で祈ったのも分かる気がする。

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【memo】
お波(朝丘雪路):赤ん坊を抱えた水茶屋の女

  • 鉄「肌が白くてボインとくりゃあ…」。@「ボイン」は、大橋巨泉が朝丘雪路の巨乳を表すのに発明した造語。つまり、ここでの鉄のセリフは楽屋落になっている。

  • 鉄がお波から寝物語に聞いたところでは、茶屋女になる前は、野分の藤造ふじぞうの囲い者だった。

茶屋女になったあとのお波とナニした男たち(藤造の手下調べ)
1)マルコーの番頭、清兵衛
2)北町奉行所同心、中村主水
3)料亭水月の板前、しんきち
4)骨つぎ、念仏の鉄
手下「ざっとこんなところが、ナニした男でございます」
藤造「八丁堀を除いて、全部消しちまえ」

主水が豪華な昼飯を食っている「白滝」という茶屋に、藤造の手下に襲われた鉄が逃げ込む。

  • 主水「(お波は)ここに隠れて、父ちゃん探しをやっているらしぞ」

  • お波はおきんに、「茶屋勤めの前にその兆し(懐妊した兆し)があった」と話す。

  • また、お波の身の回りの世話をしていた老婆が藤造に答えて、藤造が旅に出る前に、既に「月のしるし」がなくなっていた。

藤造「俺のガキにしてはツラが丸すぎる」
お波「そりゃ、赤ん坊のうちはねぇ、太って丸いのよ。そのうちだんだん長い顔になるわ」
藤造「あの同心もかなりアレ、なげえツラだったね?」(←アドリブ?)

お波(藤造に斬られて瀕死)「あの子は本当は…あなたの子なんです…」
鉄(小さい声で)「俺の?」
お波(頷き)「だから…仇をとってやって…お願い!」
鉄(引きつった顔でニヤリと笑い)「わかったよ、お波さん」(一呼吸置いて大声で)「俺の子供だからな!!」
お波(ニコリと笑って頷きコト切れる)

藤三を仕置するために天井から降りてきた鉄の左膝に手ぬぐいが巻かれているのは、当時、山崎努が本当に左足を負傷して、ヒョコヒョコ歩いている状態だったから。

鉄は、仕置きした藤造に対して、右手を上げて片手で拝む。@サイコパス藤造の呪われた迷える魂の成仏を祈ったのだ。


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