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崖を飛び越えた先、見えたのは笑顔だった。

今回は“自分の価値観に1番影響を与えた出来事とエピソード”について書いていきたいと思います。

価値観ははじめは親の影響で形成されて、大きな衝撃があったり、人とふれあったり、一緒に何かを成していく中でが変わっていくものだと思います。

いろいろな影響を受けて今の僕が出来上がっているわけですが、

その中でも自分に1番影響を与えた出来事は、
中学3年生の時の全校集会で行われた激励会です。

僕は幼少期からあまり人と関らずに生きていました。小さい頃からウルトラマンが好きで、家でビデオを見たり、ウルトラマンのソフビ人形で遊んでいるような子どもでした。

ですが、時が経つにつれて人と関らないといけないことが増えてきます。
幼稚園の時は自分のしたいことをしていて良かったのに、小学生になると次第に周りの人が気になるようになったり、一緒に行動することが増えるようになりました。

その時に僕が感じたのは、
「どうやって関わったらいいのか分からない、
どうやって話しかけたらいいのか分からない」
でした。

幼稚園の時に周りの友達を遊んだりことをしなかったツケが回ってきたのです。
小学校は幼稚園から知っている友達が多く、そのほとんどが野球部に入るとのことだったので、僕も入り同じ環境にいることでなんとか野球仲間と仲良くなることができました。

ただ、野球部以外の人とはめっぽう仲良くなれない。
そんなことを思いながら時間が経っていきました。
そんな時、僕はふとしたことに気付くんです。
授業参観や部活の時に何故か僕の母の周りに人が集まっているんです。

どういうことだ?

僕がちゃんと話したことない人もいる。

何が起こっているんだ?

訳が分からずにずっと母と周りの人達を見ていると、みんなが笑顔なんです。
みんなが笑って母の周りは暖かい雰囲気に包まれているんです。

僕はハッとしました。

そうか!
人を笑わせたらいいんだな!と。

それから僕はお笑い番組に釘付けになります。
面白いことを仕入れて話せばみんなが笑って集まってくるんじゃないかと思ったんです。

僕はそんなに授業が好きではなかったので、授業の時間をお披露目時間にしようと考えました。

いざお笑い番組を見て培ったボケをかますと、全くウケずに勉強を頑張っている子達からの罵倒の嵐でした。

意外と罵倒されるのも悪くないなと思い、挫けずにずっと授業中にボケたり、ダジャレをかまし続けました。そんな小学生生活をしていましたが、


一向に人が集まってこない。

母と何が違うんだ?

そんな疑問を抱えながら僕は中学生になりました。

中学校では2つの学校が1つになるため、環境がガラッと変わります。また、思春期に差し掛かり僕は女の子と話せなくなっていました。

相変わらず、仲が良いのは野球部の仲間ばかり。
そんなことを言いながらも野球部の仲間は小学校の頃から知っている気心が知れる友達ばかりだったのでそれだけでいいと思っている僕もいました。

中学校の野球部は何故か大会が近づくと部員が坊主にし始めます。
髪型にこだわりは特になく、オシャレな髪型をしていた訳ではありませんが、僕はそれがたまらなく嫌だったことを覚えています。

そもそも帽子を被るんだから
関係ないじゃん!

高校野球を見ていても何故か坊主。

何故?

何故なんだ?

中学2年の夏の公式戦の日に、僕は坊主にせず大会に臨むと監督に呼び出され、
「なんで坊主にしてないんだ!」
と激怒されたことがあります。

僕は野球が上手くなかったですし、朝人より早く部室に来て練習してもレギュラーになれなかった僕にとって坊主にする意味が全く分からなかったですし、したいと思わなかったんです。

何故野球をするためだけに
自分のアイデンティティを失わないと
いけないのか。


中学時代こんな風に思えていた訳ではないですが、それに近い感情をもっていたことを覚えています。笑

そして運命の日が近づいてきました。

中学3年の夏の大会で僕は背番号12番をもらうことができました。

僕の中学校では、大会が近づくと全校集会で激励会という、全部の部活動のベンチ入りが決まっている人だけ、部活動ごとにステージに立ち1人ずつ背番号と名前を言うという会があります。

僕は中学3年生でやっと背番号を取れたので激励会は初めての舞台です。

激励会で前に出る野球部員は激励会前日までに坊主にして会に臨むことになっていました。

今まではベンチに入っていなかったので大会前日までにすればいいはずなのに少し早く坊主にしないといけないのかと悩んでいました(坊主にしたことは1回もなかったですが笑)。

僕はこのまま自分のアイデンティティ
を失ってしまうのか?

やはり僕は坊主を受け入れることができませんでした。

僕は絶対に坊主にはしない!

だから

僕は角刈りにする!

僕は前日にいつも行っていた床屋に行き、

角刈りでお願いします!

と伝えると、「本当にいいの?」と聞かれましたが

愚問です!

と質問を一蹴しカットを始めてもらいました。

悲しい哉、当時の僕の髪の毛は細く柔らかかったため角刈りカットしてもらったにも関らず、全く角ばらず訳の分からない中途半端な髪型になってしまいました。

そしてついに当日になります。

激励会では全員ユニフォーム姿で部活ごとに体育館に入場していきます。
体育館前の廊下ではユニフォーム姿で緊張している人ばかりで女子部員からは「行きたくない」なんて声が聞こえるほどでした。

緊張している人ばかりの中で、何故か僕だけ高揚感に包まれていました。

緊張を通り越してなのか分からないですが、すごく頭がクリアで周りの状態が認識出来るくらい気持ちに余裕があったことを覚えています。

体育館の扉が開き、選手が入場して行きます。
緊張している選手がたくさんいるからか、会場は少しピリピリした雰囲気。

1番手はもちろん野球部なのでステージに上がることになりました。

ステージに立ち、全校生徒に見られていると感じるとまた高揚感が高まってくるのを感じました。

「では野球部お願いします」の掛け声とともに背番号1番の選手から帽子を脱いで背番号、名前を言っていきます。

1人1人話すのを聞いていくうちに、

それだけじゃ物足りないだろ。

何か言うんだ。

そんなんで終わってはダメだ。

自分が言っているようで自分ではないような声が僕の中から聞こえてきたんです。

気分が昂っている僕は、よっしゃ何か言ったる!という気持ちになってきたんですが、

でも何を言おう!?

何も思いつかない!

でも何か言ってやるんだ!

そう思い始めたら高揚していた気持ちに急に緊張感も付け足されてなんとも言えない気持ちになりました。

そして気がつくと10番の人、つまり僕の隣の隣の選手が話していました。

次の次が自分だ!

自分は昨日何をしたんだ!?

そうだ!
と思った時、僕の出番になっていました。

僕は帽子を脱ぎ、背中を大きく反り

角刈りの後藤でーーーーす!

シャキーーーーーン!

と角ばっていない中途半端なところを後ろからなぞりながら大きな声で叫んでいました。

すると、少しの沈黙の後に大爆笑に包まれました。

その時の達成感というか、みんなの笑顔をみれた時の高揚感が今でも僕は忘れられません。

上手くいかなかったらどうしようという緊張感を乗り越えた先に見えた景色がとても素敵なものだったんです。

激励会が終わった後から、野球部以外の人から話しかけられることが多くなり、女子とも少しずつ話せるようになりました。


僕はそれを経験してから人前で話すことに抵抗がなくなりました。
またあの体験をしたくてやりたい気持ちが強くなりました。

あの時の経験のおかげで、職場での出し物やぺこぱの完コピを成し遂げることができたんじゃないかと思っています。

また、話している時にこれを言ったら笑うかな?とか、しらけちゃうかな?といったことがなんとなく分かるようになったのも小学時代から人の笑わせたいといった思いから培われたものなんじゃないかなと思います。


目の前は崖のような気持ちになりますが、ドキドキを超えた先に見える景色はなかなか得れない感情を与えてくれます。

noteを書いたことであの時の感覚が蘇ってきました。

人の笑顔を見られるのはとても素敵なこと。
僕はもっと沢山の笑顔が見たい。
もっと笑顔な人を僕の周りに溢れさせたい。

そして僕にはまだ沢山飛び越えないといけない崖があります。

飛び越えた先の景色を見に行きたいと思います。

ありがとうございました。

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