社会に出て肌で感じた大人の世界〜年功序列のシステムに苦しめられる人々〜

これは私が高校を卒業して、就職し働く中で感じた社会のシステムへの疑問、私意です。だいぶ掛け離れた話題も書いてしまっていますが、ご了承ください。

疑問を持ったところで何か変えられるわけではありませんが、自分の考えを文章にすることで思想を更にまとめることができたり、もしくは自分の思想が間違っている事に気がついたりできます。また、皆様と意見交換などできれば嬉しいです!


 人間は自分が最優先、生まれながらにして悪である。人間の本性が現れるのは窮地に立たされた時。それを悪と捉えるかは人それぞれであるが、自分を含め悲しく残酷な生き物だ。人間以外の動物たちの方が、余程思いやりがあるのではないかと思う。人間は、感情表現が豊かで多くのコミュニケーションツールを持ち、進化しすぎた。

社会に出て気がついたことは、成人しているからといって完璧ではないということ。大人は単に子供の延長線であること。自分が子供の頃は、大人はみんな頭が良い、尊敬すべきだと思っていたがそれは全くの間違えであった。そんなこと少し考えればわかることだが、実際社会に出て改めて感じた。 


 私は年功序列という言葉が大嫌いだ。世の中はほとんどがこれである。このシステムが無いとうまく回らないのは十分承知だが、これは世の中を正す為には相応しくないシステムだと思う。長年、ただ怠けて生きてきた者が、必死で勉強してきた若者の上に立つことができる。そして、その若者に自分の考えを押し付け、多くの指示を出す。もちろん、若者は間違えた指示であろうが従わなければならないし、歯向かうことはできない。

その若者にとって一番厄介なのは、知識や常識がないのに持論を押し付ける人。常識の有無に境界線などないが、持論を持っていいのはある程度勉強してきたものだけだと私は思う。だが人間は面白い。どこからともなく自尊心が生まれ、明確な根拠もない自信がつく。そして周りを巻き込んでいく。

このような言い方をすれば悪く聞こえてしまうが、これが実際世の中の自然な流れになっているから、どうしようもないし、これで表面上は問題なく物事が進んで上手く回っているのであれば正しいことなのかもしれない。いや、それの正しい正しくないの概念ははっきりとしていないし、寧ろ正しい正しくないは問題ではなく、世の中がうまく回るかそうでないかが重要なのであろう。例え、一部の人が苦しんで生きていても目を瞑る。そうでもしないとうまくいくはずがない。なんて残酷だろう。そして、目を瞑られた側の人間は耐えに耐え、思考が変わり、自分を失う。


 そんな世の中で歪まずに生きていく方法はあるのだろうか。結論は出ないが、ある程度考えはまとめられた気がする。まず、相手の立場に立って考え、その人の今までの人生を想像する。どれだけ、苦しかったか、辛かったか、悲しかったか、楽だったか、不自由だったか、貧しかったか、、、想像するのは自由である。そして、まだあなたが歪んでいなければ納得できるだろう。自己完結にはなってしまうが、今のところこれが一番の方法だ。

 そして、もう一つ思うことが、万人(全ての人)に好かれる方法はないが、万人(たくさんの人)に嫌われる人生は嫌だということ。これは、周りにまともな人が多いという前提での話になるが、全てに人に好かれている人など存在しない、しかし、せめてまともな人には共感して貰い、好かれる人生でありたいと思う。



 最後まで読んでいただきありがとうございます。私達は、生きる場所も環境も全く異なるので、考え方もだいぶ異なると思います。違う環境で生きている方の意見を是非聞きたいです。今後も、日々の生活の中で生まれた疑問や思想を書いていきます。皆様の意見も聞かせていただけたら嬉しいです!