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【休職日記】適応障害/発症の経緯と症状

さて、今回は発症の経緯を振り返っていきたい。

〇そもそも適応障害とは

一般に、ストレスによって気分の落ち込み、意欲低下、不眠や身体症状が出現している状態を適応障害という。

適応障害はうつ病と混同されがちだが、両者には明確な違いがある。
私もこれまでは同じようなものだと思っていた。

詳細はググって調べて頂けたらと思うが、ざっくりと以下のような相違がある。

<うつ病>
・発症の引き金が無いことが多い。
・慢性的なストレスが原因なことが多く、ストレスから離れてもすぐには良くならない。
・一旦うつ状態が始まると、楽しいことがあっても楽しめない。

<適応障害>
・明確な発症の引き金がある。
・ストレスに晒されてからすぐに発症し、ストレスから離れるとすぐに良くなることが多い。
・うつ状態でも楽しいことは楽しめる。

〇発症の引き金

私の場合、明確な発症のきっかけは、人事異動に伴い担当業務が変わったことだった。

多くの若手社員も同じような悩みを抱えているかもしれないが、入社してから3年間、どんな仕事も上手に回せていると心から思えたことは無かった。
だが、新業務は私のキャパを完全に超えていた。

専門知識、会計・ファイナンスの知識、英語力、PCスキルやシステムの使い方、社内外との調整能力等、どれをとっても自力で業務を回すには足りなかった。
出来ないなら出来ないなりに早めに周りに頼ったり、上司に業務負荷の軽減をお願いしたりするべきなのは分かっていたのだが、私よりずっと多くの仕事を抱えている先輩や上司を見ていると、「もう3年目なのだから、これくらい自分で処理出来なければ」という思いが勝ってしまった。

それでも、新業務の担当になって最初の一か月は、前向きに(がむしゃらに?)努力できていたと思う。
朝出社前に英会話のレッスンを受け、英文ライティングの添削原稿を提出。
出勤中とリモートワークの隙間時間は簿記やファイナンスの勉強。
昼休みの間に足りない知識を少しでも身につけなきゃ、退社後に日中の仕事で理解できなかったことを調べよう、前任者より仕事が出来ないのだから休日で少しでも差を縮めなければ―――
というように、起きている間はずっと仕事のことが頭から離れなかった。

朝起きるとすぐに「今日あの仕事を進めなければ締め切りに間に合わない、でもあの面談資料も早く完成させなければ」というような焦りと、間に合わなかったらどうしようという不安に駆られた。

だが「今は慣れていないだけだ、勉強を続ければなんとかなるはず」と、このような生活を一か月間続けていった。
すると、次第に次のような症状に悩まされるようになった。

〇症状➀ 頭にもやがかかったように感じる

一番最初に気がついた異変で、一番私を困らせたのは、集中力が低下して頭が働かなくなったことだった。コロナウイルスの副作用で有名になったブレインフォグという状態に近いよう思う。

タスクに優先順位をつけて上手くさばけない、Excelを見てもその数式を読み解いていけない、資料を何度読み返してもなかなか概要を把握できない、メールを処理できず溜めてしまう、というように、これまで出来ていたことでもスムーズに行うことが困難になり、妙に時間がかかるようになった。

ただでさえタスクが溜まっているのに、簡単な仕事もさばけず積み重なっていくことは、当時かなりの心理的負担だった。
だが、慣れない仕事で疲れがたまっているんだろうと考えていた。

〇症状② 人と話すのが億劫になる

私の職場は若手が多く人間関係も良好だったので、昼休みや業務の合間に先輩や同僚とどうでもいい会話をするのが大好きだった。
コロナの影響でリモートワークが増え、直接コミュニケーションする機会が減っていることを悲しく思っていた。

しかし、新業務の担当となってしばらくしてから、出社している時に会社の人との関わりを避けるようになっていた。もともと近くの席の人を誘ってランチに行くことも多かったのだが、パンを持参してデスクで食べるようになった。笑顔で世間話をすることがしんどくなり、マスクをありがたく思うようになった。出社して直接分からないことを前任者に聞く方が効率がいいのに、在宅勤務を好むようになった。

当時はこの些細な変化に自分でも気がついていなかったけれど、以前の自分と比べると変化は明確だ。

〇症状➂ 不安感・焦燥感・絶望感

常に仕事に関する不安と、何が最優先か分からないけれどとにかく何かしなければ、という焦りがあった。
そして、終わらない仕事と迫る毎日の締め切りを前に絶望的な思いになった。

「自分がいなくても組織は回る」ということは、もちろん頭では分かる。
しかし、目の前に「自分の業務」として積み重なるタスクがあり、それらを処理できる見込みがないとき、そう簡単に「もしものときは誰かがフォローしてくれるだろうし大丈夫」とは思えないのだ。

今でも変わらず、もし1か月後に同じポジションに復帰しても、仕事を回せなくて同じことの繰り返しになるんじゃないか、という不安がある。

〇そしてある朝。

上記のような症状や倦怠感に悩む日々を送っていたある日の朝、目覚めた瞬間から理由もないのに涙が止まらなくなった。

その日は在宅勤務だったため、涙を垂れ流しながら働いたが、結局就業時間の半分以上は泣きながらPCに向かっていたと思う。(想像するとかなりシュールな光景である)

この日、仕事でもプライベートでも非常にお世話になっている先輩とオンラインでの打合せがあった。
気の置けない先輩と二人だけの打ち合わせであったことも影響してか、打ち合わせの終盤にこらえきれずに泣いてしまい、結局私のお悩み相談会となった。
このように周囲に相談できる人がいたことは本当に幸運だったし、人と話すのが億劫になるという症状があった中で、最終的に周りの人に助けを求められたことは良かったと思う。
私が周りの人にいかに助けられたかに関しても後々投稿したい。

これはどう考えてもおかしいと思った私は、その夜母親に電話をかけた。
約一時間、最近の症状や不安について泣きじゃくりながら相談した結果、一度心療内科に行ってみるのがいいのではないかということになった。
仕事帰りに寄れるよう、翌日の夕方の予約をとった。

翌朝も、目覚めるとすぐに涙が出てきた。
前日の大半を泣きながら過ごしたため、(思い出すと自分でも笑ってしまうぐらい)目を腫らしたひどい顔をしていた。
その日は出社する必要があったので、なんとか涙を止めて、軽くメイクをし、服を着替えて家を出た。
ところが、電車に乗って会社の最寄り駅が近づくにつれてまた涙が溢れ出てきて、駅から会社への道中も泣き止むことが出来なかった。

会社に着いた時には腫れぼったい目は真っ赤・マスクはヌレヌレという悲惨な状況だったので、流石にこのまま執務室には行けないと思い、そのまま社内の保健室のような場所に向かった。
優しいスタッフさんは、尋常じゃない様子でやってきた私を奥の部屋まで連れていき、背中をさすりながら話を聞いてくれた。

生憎その日は、カウンセラーが不在だったのだが、スタッフさんはPM休をとってすぐにでも病院に行くように勧めてくれた。
会社の内部状況にも詳しい産業医の先生を紹介してもらい、(夜の予約はキャンセルした)午後イチに心療内科へ行くこととなった。

次回は、人生初の心療内科受診について書いていこうと思う。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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