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【休職日記】周囲の人の温かさたるや。①

骨折して、腕が自由に動かせることの便利さを知る。
鼻づまりになって、食事を美味しく食べられることのありがたみを知る。
私はいつも、マイナスの状況になって初めて、普段の自分がどれだけ幸せだったかを認識するようだ。
(そしてしばらくすると懲りずに忘れてしまう。)

上記の例とはちょっとずれるが、適応障害による休職は自分が普段どれだけ素敵な人に囲まれていたか、そして、にもかかわらず十分に感謝の気持ちを伝えられていなかったか、を認識する機会となった。
これまで、「社会人となった今、周りからのサポートなんてなくてひとりで生きていける」なんて思いあがりを心のどこかに持ち合わせていた気がする。

後々見返して感謝の気持ちを忘れないでいられるよう、周囲の方からもらった暖かい言葉やサポートなどを残そうと思う。

➀母親

追い詰められたとき、私が一番最初に頼るのは母親である。
今回も諸々世話になっているが、一番印象的なのは次の一件。
休職中は基本的に地元に戻っているのだが、電車代は往復で約15000円ほどかかる。

帰ってきて数日後、母親は突然私にずっしりした封筒を手渡した。
中身を見ると10万円が入っており、「これからもきつくなったらいつでも帰っておいで。そんだけあれば6回はこれるやろ(笑)」と言ってくれた。
流石に受け取れないと最初は断ったが、最終的にありがたく頂戴した。(貰うんかい)
24歳にもなってまだ親に心配をかけて情けないという気持ちと、帰る場所を用意しておいてくれる温かさに泣いてしまった。

できれば手を付けずに、いつか10倍ぐらいにして返せたらいいな。

②父親

地元に帰って1週間後、産業医の先生の再診察を受けるため、大阪に戻らなければならなかった。

診察日は土曜の午前中だったので、金曜の夕方に電車で帰る予定であった。
金曜の夕方、実家を出ようとする私はおそらく憂鬱な顔をしていたのだろう。
父は急に、「明日(土曜)の朝、車で送ろうか?もしよかったら一緒に先生の話も聞くし、終わったらそのまま(実家に)連れて帰ってやる」と言った。
24歳にもなってまだ親に心配をかけて情けないという気持ち(再)が湧き起こったが、またまた甘えることにした。

道中、約3年前、実は父がうつ状態で2か月ほど会社を休職していたという話をしてくれた。
このことは私にとって目から鱗であった。
そのとき私はまだ大学生で、帰省もしていたが、当事者の父も、支えていたであろう母もそんな素振りは全く見せなかった。
(一方、当時の私はたぶん夏休みで浮かれポンチだった。)
発病して母に泣きながら電話をかけたとき、妙に適切なアドバイスがもらえたのはこのためか、と後々納得した。

少なくとも私よりは数倍頭がよく物知りなのに、ひょうきんで偉ぶらない。
気恥ずかしさから直接伝えることはないが、私は父を尊敬している。
そんな父が同じように休職していたという事実は、父でさえ心が弱るときがあるのだから、私がこうなるのもあり得ない話じゃないよな、と私を安心させた。
やっぱり休職することにどこかうしろめたさを感じていたのだと思う。

これまでこの事実を知らなかったということは、もしかしたらあまり娘に伝えたくなかった話なのかもしれない。
でも、不安そうな私のために往復8時間運転してくれ、自分の経験を語ってくれたとこには本当に感謝している。

長くなったので一旦はここまで。
今日もありがとうございました。
おやすみなさい。良い夢を。

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