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下書きを整理した。そこには私がいた。

ふと気づくと、公開非公開を合わせてnoteが50件を達成していた。

「おお、私、すごい。」

と思ったけれど、よく見ればタイトルが無く中身不明、あんまりに雑で意味のわからない一言、今も思ってるけど書けはしない、そんなガラクタ詰め放題みたいな感じだった。

人参を手に取る。いい人参だ。
煮ても焼いても美味しいだろうけれど、でもこれは

「でもこれは」

意味がわからない。でもこれは、何!?
こんな感じだ。ため息ものだ。

でも、一応、勿体無いので紹介してみようと思う。


まずは、普通なところから。

人の幸せを願うって、実は信じられないほど難しいことなのではないだろうか。
二十歳ってもっと大人だと思っていた。
ありきたりな感想だけど。

うん、確かに。
人の不幸を願うのは信じられないほど簡単だけど、その逆は難しい。
それに、20歳は思ったより大人ではない。ちなみに、21歳も。

最近、「好きなものほど続かない」ことに悩んでいる。

あーーーーーーー、わかるよ。

好きになる、のめり込む。捨てられない。
だけどずっとは見ていられない。
片手にはずっと、好きでも嫌いでもないものを握りしめてるのに。


でもこれは、きっと何年後の私が拾い上げても同じ悩みだ。


あとはね、景色。
眼鏡とコンタクトは違うんだよね。

久しぶりに、眼鏡をかけて外に出た。
何かが違う。説明はできないけど、違う。
ふと思いついて、眼鏡をずらしてみる。あぁ、そうそう。この感じ。裸眼で見る世界ってこんな感じ。色とか、光とか、懐かしい感じがする。
大変目が悪いので、裸眼で外に出ることはまずない。文字も読めないし、携帯の画面もろくに見えない。足元だって覚束無い。階段を降りるって、案外難しいことなのだ。

たまには眼鏡もいい。
何もなしじゃよく見えないってことを思い出す。


あとはこれ。時系列がバラバラだけど、私は女子高生を辞めた時からずっとしがみついてきたはずの本屋と、3月に別れている。

3月、バイトを辞めた。
特に不満があったわけでもないし、人間関係も良好だった。たしかに結構忙しかったけれど、給料も高くはなかったけれど、今思えば私には実に合っている職場だった。本が好きだったし、何よりも働いている人達がみんな好きだった。優しい世界だった。
なぜやめたのか、と言われるといつも少し困ってしまうのだが、

「困ってしまう。」
それの先は、今の私にもうまく説明できない。

ただこの頃、私は書店員でなくても生きていけるようになった。


「必要でないなら、やめてしまったら?」
少し困ったような笑顔を添えて、目の前の白衣を着た女の人はそっと言った。
憧れがない、というのは時に厄介なものらしい。
なんでもいいから、何かに逃げたかった。布団とお酒と友人では足りなくなってしまう瞬間が何度か私を襲うようになった頃、私は次に頼るべきものを気づけば探していたのかもしれない。

これね、なんだと思われるかな。実話なんだけど。
人によって違うかな。

そういう、誰にでも当てはまる瞬間が、私にもたくさんあった。


忘れたいことも、思い出したら平気だったことも、
なぜ忘れてたのかな、って、ごめんって気持ちになるものも、下書きには今まで居た私が残っていた。

通り過ぎて、もう過去のものとして手を振ったはずの私が、ちょっとだけ残っていた。
アルバムをめくるような、手帳から写真が滑り落ちるような再会。


その中でも、一番綺麗でなんの中身もない私がこれかな。
今でも尊敬する。君は素敵。

花冷えと三寒四温



Pexels の Kaboompics .com による写真

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