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麻雀は人生に通ずる

久しぶりに麻雀を打った。麻雀を打つ友達が周りにいないので基本的にオンラインで麻雀をしていたのだが、今回は先輩に誘われて初めて雀荘に行き、対面での麻雀をした。
一見倉庫にしか見えない建物の二階に上がりドアを開けると、一面たばこの煙で真っ白。分煙が進むこのご時世によくもまあこんなアウトローな場所が存在しているものだと変に感服してしまった。麻雀自体はクリーンで楽しいのだが、麻雀をやる層の治安が悪すぎて、世間からのイメージが悪くなっている笑 純粋にゲームとしてもっと麻雀を流行らせたいものだ。
そしていざ対局をしたのだが、対面麻雀はネット麻雀の十倍面白い。久々だったので勘を取り戻すのに時間がかかったが、上がれた時の脳汁出る感じがたまらない。

「背水の陣」のメカニズム


ある対局で、最下位の罰ゲームをかけて麻雀をした。半荘戦の南場、第2局で放銃してしまい、大きく点数を離された状態で挑んだ第3局、その日の対局の中では一番集中していた。配牌はかなりひどく、ほとんどメンツができていない状態だ。かといって有効字牌があるわけでもない。それでも、今までにない集中力と気迫でどんどんと欲しい牌が集まり、最後上がることはできなかったけれども、3位を逆転できるぐらいの点数でテンパイまではこぎつけた。
「背水の陣」としてよく聞くが、何らかのハンデを負って「もう後がない」という状況の方が力を発揮できるケースがある。今回もそうだった。
麻雀は上がるにあたり、いくつもの要素が存在し、選択肢が存在する。どの牌を捨てどの牌を残すのか。鳴くのか鳴かないのか。相手のリーチに対して突っ張るのか降りるのか。単に高い役を出せばいいわけではなく、順位や進行状況などで時には安くても早く上がることが必要だったりと、手段だけでなく目的も多数存在するのだ。それを瞬時に判断し、選択するのは非常に難しい。長年麻雀をやっている人でも、頭で考えて判断せず、なんとなくの勘やその場の流れに任せてしまうこともあるのではないだろうか。

だが、背水の陣であればどうか。第3局ではとにかく高い点数を取らなくてはいけない。もう時間がないから安い目で上がるのは無駄だし、他の人がテンパったとしてもある程度は強気に行く必要がある。だからチンイツホンイツとか複数ドラが見えない限りあまり鳴く事は考えなくていいし、のちのオリのために安全牌を残しておく必要もない。そういう風に、目的と手段が限られているからこそ、その範囲内でベストを尽くすことができるのだ。それしか手段がないから、途中でくじけそうになっても作戦を変えない(変えられない)。
これに対して普段の対局では、「これがいいかも」「やっぱりこれかな」といったように自分の意見がふらふらと変わりやすい。そのせいでどっちともつかずのような状態で、漠然と対局を終えてしまうのだ。
これは麻雀に限った話ではない。普段の生活でも選択肢は多々存在し、目的と手段も様々だ。あえて選択肢を狭めることで、その中で最も効率的な判断を下すことができるようになる。そのスピードも速いだろう。「もっといい方法があるかも、もっといい目的があるかも」と考えるよりも、今ある目的と手段をとにかく早く達成するという事に重点を置いた方がうまくいくこともあるかもしれない。

勝っている人は勝つ


麻雀を対戦する中で、もう一つ気づいたことがある。勝っている人は勝つのだ。これは何も、「実力がある人は勝ち続ける」という話ではない。点数的に余裕があると、リスクをとる必要がないということだ。
収支がマイナスになっている状態では、どこかで大きな賭けに出るか、細かい勝ちを積み重ねていく必要がある。前者の場合は明らかに大きなリスクがあり、後者の場合でも一回一回のリスクは小さいがそれを積み重ねられるかというリスクを伴う。さらに、どちらの場合でも相手が自分の戦術を見て対応してくる可能性が大きい。後手に回らざるを得ないのもつらい所だ。
点数に余裕があれば無理にリスクをとる必要はなく、自分に有利な状況の時だけ戦えばいい。大きな点数を狙わないのでダマテンが多くなり、逆にアガりやすくなるなどのメリットも考えられる。
これも麻雀以外に通ずるところがある。勝っている時の精神的・物理的余裕がさらなる勝ちを引き付ける。「金のあるところに金が集まる」のと一緒だ。



1万円で買ったビームスの上着がタバコ臭くてどうしようもなくなった代わりに、人生の教訓を二つも得ることができた。これならまあよかった。
…わけではない。タバコの臭いってこんなに取れないのか。次は洗濯しやすい服で行こう。

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