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木の芽時にて。

自分らしくありたい。ありのままで。
私らしく過ごしたい。
それを繰り返し模索し、選ぶ日々。

それは簡単なようでいて、
とても難しいと思える瞬間もあって。

家族の居ない一人の暮らしは
自分の時間を大切に出来るし
そういう時間を気にいってもいる。

そうしている間に自分を大切にする
という意味も少しずつ掴めてきて。
そんな日々が愛しくて、楽しくて。

それでも強い孤独を感じる場面もあって。
それを考えかたやアイデアで、工夫して
良い方向へ変換するのも可能で。

だけど人生の後半を考えたりする余裕は
なくて。

ただ「今」を笑顔で過ごしたい。

それだけなのに。
たったそれだけなのに、
妙に難しい瞬間があって。
あ、でも瞬間だけれどね。

生きていれば色んなことが誰にでも
あって。

悲しみも、苦しみも、孤独も、喜びも、
涙も、笑顔も、幸せも、その他諸々、

全部ひっくるめて、それが生きているという証で、それは永遠じゃなくて。だから 全てが尊い。

そう思うと、全てのことに感謝したくなる。

これを書きながら近所の桜の樹の下を
歩いていました。
写真もその時のものです。
桜はまだ蕾だけれど、家の外にある
小さくて低いハナカイドウの木は
咲き始めていました。

とりとめがなくて、まとまらない文章
だけれど、うちの中と外の気温が変わらない
ことに身体が戸惑うような感覚があって。
どうにも頭がふわふわしているのです。

これが木の芽時というやつかな。

地球全体で気象や景色や何もかもが
一気に変化する春なのだから。
人間もその地球と宇宙の一部なのだから。
いろいろ作用して当然。

その中の小さな小さな心の戯言。

何もかもが花ひらき美しく麗しい
暖かな春の日もすぐそこ。

#春 #木の芽時 #散文 #ハナカイドウ
#花カイドウ #私らしく #自分らしく


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