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祖母の死が教えてくれたこと。その②

現代、人生の最期を過ごす場所として

8割病院、1割在宅、1割施設などのその他の場所となっています。

2025年にピークが来るといわれている高齢化。

その高齢化に伴う受け皿(病院)がなくなってくることから、ここ最近は

”在宅で最期を過ごす”選択肢を勧めている傾向にあると考えます。


人生の最期を自宅で過ごすこと が果たして一番良いのでしょうか??


私が病院勤務から在宅医療へシフトチェンジしたきっかけは、病院で最期を迎える方々の「家に帰りたかったな」という言葉でした。

”病気でも、亡くなるその時まで家に帰れる環境を作り、支えたい”そんな思いで始めた在宅医療、訪問看護。始めの頃はそんな思いを強く抱いていたためか、”自宅で過ごすことが一番良い、自宅での看取りこそよい最期の迎え方”と考えていました。

しかし、色々な患者様、利用者様と出会う中でその考えは変化しました。

祖母は晩年、生まれ育った故郷を離れ、長女(私の母)のいる場所の施設へ入所しました。家で看てあげたいという思いもありましたが、父が要介護状態であったこと、母も私たち孫もみんな現役で働いていること、様々な背景はありますが祖母も納得し施設へ入所しました。母も長年訪問看護師をしているので、その選択にはさまざまな葛藤があったかと思います。

コミュニケーション能力の高い(田舎ならではの誰にでも話かけちゃう精神で(笑))祖母は施設にすぐに慣れ、施設スタッフにも好かれ、楽しそうな日々を送っていました。”家に帰りたい”とも言わず、会いに行く私たちもニコニコ出迎えてくれ、穏やかな日々をすごしていました。

施設のスタッフさんたちも、ほんとによく気が付いてお世話してくださり、祖母の相手をよくしてくれ、離れている時間に起こった出来事も細かく報告してくださるので私たちは安心して祖母を任せることができました。

そして、亡くなった日・・・・

前日までごはんも食べれていましたが、急に元気がなくなったと報告がありました。おそらく持病である心臓のせいではないかと思われます。

急いで私たちはそれぞれの職場から祖母のいる施設へ向かいましたが、息をひきとるその瞬間は誰も、間に合いませんでした。

1人で逝かせてしまったな・・・・

そう思って施設に到着すると、祖母のベッドの周りにはたくさんの私たち家族の写真が置かれ、お気に入りだった私が買っていったぬいぐるみたちに囲まれていました。「〇〇さんが寂しくないように、これぐらいしかできませんでした」と一緒に号泣してくれるのです。

他のスタッフさんも「〇〇さんが亡くなったなんて信じたくない」「寂しいい」「明日から笑顔がもう見れないなんて・・・」と次々にお別れを言い、涙してくれたのです。

数年お世話になったその施設で、祖母にはもう一つの家族ができ、みんなに囲まれて幸せに暮らしていたんだな、と感じました。

感謝の意を込めて、施設スタッフさんと祖母の話をしながらエンゼルケアを一緒にさせてもらいました。

そして、退所が23時近くであったにも関わらず大勢のスタッフがお見送りに残ってくだりました。


”人生の最期を過ごす場所はどこでもいい、亡くなる場所もどこでもいい”

場所ではなく、

”どんな場所でも、ご本人様、ご家族様らしい、最期を迎えることのできるケアが提供されること”

が大切であると私は思います。

今回、祖母が施設で最期を迎えたことで改めて実感しました。


その人らしく、最期を迎える場所の選択肢を増やしたい、

家でも病院でも施設でも、その人らしく最期まで過ごせる場所でその人と家族を支えることができる人たちが増えるよう、働きかけていきたいです。


祖母を看てくれていた施設の方々には本当に感謝でいっぱいです。

そして、おばあちゃん。

いままでいっぱいありがとう。いつまでも大好き!


★この時期になるといつも施設の前の道が桜並木でいっぱいになります。毎年祖母を連れだしてお花見していたことを思いだします。。今年もいっぱい咲いてるよ

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